神岡鉄道 最初で最後の訪問


2006年9月9日

 名古屋から金沢に帰省するには、大きく3つのルートがある。米原経由、松本経由、そして高山経由。一番距離が短くかつ時間がかからないのは言うまでもなく米原回りだが、ただ乗っているだけではあまり面白いルートではない。松本回りは2度ほど試し、まあまあよかった。

 残る高山回りだが、数年前の台風により高山〜猪谷が不通になり、(2006年11月上旬では高山〜角川は復旧)まだ試したことがない。ずっと昔に金沢から高山を往復したことがあるだけで、高山線を走破したことはなかった。

 高山回りは復旧したら早速使ってみようと思っている。時間的に余裕があるので高山で高山ラーメンを味わって町を見てから神岡鉄道に乗って金沢に戻るとちょうどよいだろうと思っていたが、20006年冬に神岡鉄道が廃止になることが決まってしまった。

 高山線全線復旧は来年の秋の予定なので、それを待っていると確実に間に合わない。できればファンが殺到する前には見ておきたい。2006年の夏、いい機会はないかとあれこれ考えていた。

 9月7日に能登半島の自転車の旅を終え、(その旅行記はここ)旅行記を読めば分かるが自転車を免田に置いてきたので、取りに行かなければならない。

 そうだ。名古屋で買った中古の(と言えばいいのか?)2回使用済みの青春18切符があった!距離的にはあまり得でないが、金沢から猪谷まで行って神岡鉄道を使用した後津幡まで戻って七尾線に乗り換え、免田で降りて自転車で帰ってくるのはどうだろう?

 普通の切符で乗った場合、JR線だけで3500円ぐらいで、青春18切符は3回使用可能なものを8000円で買ったので1回あたり2700円。元は取れる。決定。これで青春18切符を使い切ることになる。



 猪谷8時53分発の神岡鉄道の列車に乗るために金沢何時発の列車に乗る必要があるか?時刻表で逆算してみたところ、金沢6時2分発の列車に乗る必要があることが分かった。

 これは困った!家から駅までは自転車があればひとっとびなのだが、その自転車は免田駅にある。バスを使えば30分は見ておかなければならない。しかも一番バスは5時50分ごろ発だ。バスは使えない。だからといってタクシーは使いたくない。こうなったら手はただ一つ、徒歩だ。

 仕方なく、朝4時半に家を出て駅に向かって歩いた。駅までは7kmほどだから早足で行けば6時までには着くはずである。

 駅には20分ほど余裕をもって着いた。なるほど、徒歩も使えるものだ。6時2分発富山行きに乗り、寝る。富山に着いて高山線に乗換え。




行き止まりのホームに高山線用のキハ120

まだ7時ちょっとすぎだが、思ったより人の流れがある。特に高校生が多い。

 立ち客が多くなったところで、富山発7時33分の猪谷行きが発車。久々の高山線だ。北陸線とともに神通川を渡り、渡りきったところで左にカーブする。

 西富山、速星、千里、越中八尾と進む。次の駅まではし少々長く感じた。ふと思ったのだが、高山線は富山に近いほうでもこんなに駅間距離が長かったか?時刻表で確かめたところ、猪谷まではどの駅間距離も4キロ近くあった。確かに、長めだ。


 8時22分、猪谷に着く。ここで神岡鉄道に乗り換え。猪谷から先は前述のように不通となっているため、角川まで代行バスが出ている。猪谷まで乗ってきた客の半数近くはそのバスに乗り換えるために駅前に移動した。県境移動にしては多いなと思ったが、今夏、青春18切符が使えるのは明日9月10日で最後なので納得した。




富山から乗ってきた猪谷止まり844D




富山方向を望む




神岡鉄道のホームの方向を望む


 今日の目当ての神岡鉄道の列車は8時53分発なので、30分ほど時間がある。駅やその周辺を見物した。


 猪谷は静かなところだった。数棟の集合住宅と駅前商店のみの町で、富山からの列車が日中3時間近くないのも無理はないと思えた。ここから角川まで不通なので、暫定的な行き止まり駅である。




猪谷駅正面 何か懐かしさを感じる。駅員はいない。


神岡鉄道のホームに行ってみた。




駅舎から見た折り返しを待つキハ120の2連、左には神岡鉄道ホーム




「神岡鉄道のりば」


 神岡鉄道の列車本数は少ないと知っていたが、ホームにある時刻表を見るとこんなに少なかったのかとあらためて知らされる。




猪谷から神岡まで行く列車は日に6本しかない。




待合室にある時刻表と運賃表を兼ねた板  これも神岡鉄道の本数の少なさを実感させる




不通となっている高山方向を望む。高山線の信号機はもちろん赤 神岡鉄道の信号も赤


しばらく待っていると案内が入り、折り返し奥飛騨温泉口行き神岡鉄道の列車が入ってきた。








ディーゼルカーの側面 「猪谷⇔奥ひだ温泉口」のサボ 形式は神岡の略のKMを頭にしてKM150系というらしい


なかなか面白い車両で、囲炉裏がある。シートの配列も変わっていて、セミクロスにコの字型を組み合わせたようなものだった。




窓から見た囲炉裏 本当に火がついているわけではなく、電球が灯っていた




反対側(高山方向)から見たところ 神岡鉄道はもう一両気動車を保有している。両者とも国鉄の気動車のお古のパーツを流用しているそうだ。



 8時53分、猪谷を発車。シートがほとんど埋まるぐらいの客だった。猪谷を出てすぐ、トンネルに入る。神岡鉄道は6割がトンネルになっており、別名「奥飛騨の地下鉄」と呼ばれているのは周知のとおりだ。


 ここで簡単に神岡鉄道の歩みついて説明しよう。

 神岡鉄道の前身は国鉄神岡線。1966年開業である。神岡の鉱山で採掘された亜鉛鉱石を輸送する目的で建設された。(神岡線開業前から鉱石輸送用ナローゲージ(レール幅66cm)の鉄道があった。)

 開業してから20年もたたないうちに、赤字のため第1次特定地方交通線になってしまい廃止になる危機に立たされたが、道路輸送が危険な濃硫酸輸送を存続させるために廃止にはならず第三セクター神岡鉄道として再出発をすることとなった。1984年のことである。三陸鉄道に続き、日本で2番目の第三セクターへの転換であった。

 第三セクター転換後も状況はなかなか好転しなかった。それどころか、悪化するばかりだった。平成15年には一日の平均の利用者は100人を切り、利用者数では第三セクター鉄道で最小であった。1列車当たりではたったの7人ということになる。(定期券利用者は2人だけとか)

 それでものと鉄道より赤字が小さかったのは、神岡鉄道として生き延びる動機であった濃硫酸輸送の収入があったからに他ならない。濃硫酸輸送の貨物列車は一日一往復で、神岡鉄道の収入の8割を占めていた。

 その神岡鉄道の生命線である濃硫酸輸送が打ち切られてしまった。2004年10月のことである。生命線を絶たれ神岡鉄道はもはや生きていくことができなくなった。次の決算では7000万円の赤字だった。

 そして廃止が決まった。2006年12月をもって神岡鉄道は廃止となる。




猪谷の隣の駅、飛騨中山駅 周りは山で、一日の定期的な利用者はごく少ないと思われる。この日は撮影をしいたファン3人が乗り込んだ。


 トンネルを抜けたと思ったらまたトンネル。前述のように神岡鉄道は2/3近くがトンネルなので景色を楽しむのは難しい。

 9月のはじめ、平野部はまだまだ暑いが、神岡鉄道のディーゼルカーの中は涼しい。トンネルが多い上、山の中を走るからだ。そのため、気動車はクーラーを装備していない。


 何度もトンネルをくぐり、ぱっと視界が開けたかと思うと神岡の町が目に飛び込んできた。これほどの規模の町なら鉄道が必要ではないかと思ったが、県都富山市へ直行する列車はなく、本数も少ないとなれば利用者も少なくなるのも仕方がないのかもしれない。

 富山県、それだけでなく北陸地方は日本でもトップの自動車普及率らしいが、鉄道をはじめとする公共交通機関が頼れないからなのか。




終点である奥飛騨温泉口駅 ホームの一部は最近工事をして使いやすくしたらしい。奥の木造の駅舎も割合新しく、中には神岡の名物の展示がしてあった。




次の駅名がなく、ここが行き止まり駅だと主張する駅名板




駅舎側から気動車を見たところ 駅に着いてすぐに、人の姿がなくなり静かになった。


 ここで思わぬトラブル発生。デジタルカメラの電池が切れた。予備の電池はもちろん持っていたが、どういうわけか起電力不足で全部使えなかった。予備の電池はニッケル水素の充電式だが、しばしば放電しきらないうちに充電してしまうことがあり、それによるメモリー効果のせいだと思った。

 駅の撮影はあきらめ、神岡の町の中心に向かって歩くことにした。(歩くのは予定通り)乗ってきた列車は折り返し神岡鉱山前まで行くが、神岡の町の見物のため歩いたほうがいいと思ったからだ。

 ちなみに、奥飛騨温泉口駅は神岡の町のはずれにあり、中心へは2から3駅先、およそ3kmで歩いてもたいした距離ではない。帰りの神岡鉱山前発10時52分には十分間に合う。

 町で電池と飯を仕入れ、町の様子を見ながら神岡鉱山前駅に向かう。神岡の鉱山は数年前から採掘を行っていないが、町は寂れているようには見えなかった。昔ながらの商店街などが残っており、いい雰囲気だった。

 神岡鉱山は奈良時代に採掘が始まったそうで、主に亜鉛、鉛、銀を産出した。明治の初めごろに財閥のひとつである三井組が経営権を得て、大規模に採掘を始めた。

 しかし、鉱石を精錬する過程で出たカドミウムを含む排水が無処理で神通川に流され、四大公害病のうちのひとつ、イタイイタイ病が発生してしまった。大正から昭和40年にかけてである。

 その後、<安い外国産の鉱石が輸入されるようになると神岡での採掘量は減り、2001年に採掘をやめた。最も栄えた1960年代は「東洋一の鉱山」と呼ばれたが、今は採掘をしていない。エネルギー革命を経た北九州や北海道の炭鉱のようだ。

 最後まで採掘をしていたのは、三井組からの流れで三井金属だった。鉱山として栄えると同時に神岡の人口が増え、一時は28000人になったそうだが、今は11000人らしい。

 鉱山の坑道跡を利用して、スーパーカミオカンデが作られたのは有名な話だ。地下に巨大な純水のタンクを設け、宇宙から飛来したニュートリノが水に入ったときに発する微弱な光の検出をしているという。スーパーカミオカンデは飛騨中山駅が最寄だ。




神岡鉱山前駅


 10時半ごろ、神岡鉱山前駅に着く。知らない人が見れば、何だこの駅はと思うだろう。コンクリの壁に木で作った入り口が突き出しているのだが、この上に左右に線路が走っている。高架駅のようなものだ。

写真の入り口に入り、階段を上がると




 ホームに出る。突き当たりは待合室で、猪谷駅と同じ路線図兼運賃表がかかっている。待合室にはダイヤル式のチャンネル切り替えの古いテレビと漫画、文庫本と暖房や扇風機が置いてある。

 券売機は駅そばの券売機を使っていた。神岡鉄道の券売機はここ神岡鉱山駅にしかない。大手の鉄道よりずっと面白い待合室だが、少しでも客を確保するために神岡鉄道が必死になってやったことだ。




ホームをはさんで本線とは反対側の線路は車庫になっており、今は営業運転についているのかは分からないがもう一両のディーゼルカーがあった。




貨物列車がなくなり、ビニールシートをかけられた神岡鉄道のディーゼル機関車 貨物列車が走っていたころは側線に貨車が留置してあったが、今は1両もない。




神岡の町を眺めたところ。神岡鉱山駅は町外れにある。それゆえ国鉄時代は神岡口駅と名乗っていた。




現在の駅名の由来となっている神岡鉱山 神通川の向こう側にある。貨物列車は全てこの駅から専用線を通って対岸の工場に入っていた。




ディーゼル機関車から視線を右側に移したところ。ホームはすぐに途切れる。3両分あるのだろうか?

切符を買って猪谷行き列車が来るのを待つ。神岡鉱山駅には神岡鉄道の本社と運転扱いをする施設があり、職員が常駐している。しかし貨物列車がない今、この駅で列車交換はない。


そして



10時52分、猪谷行き単行ディーゼルカーが来る。


帰りは行きより客が多く、筆者は猪谷まで立っていた。もちろん大半はファンだった。

 トンネルからの風が涼しい。窓を少し開けるだけで、ある意味どんな冷房よりも効き目のある涼しい風が入ってくる。景色を楽しめないのは残念だが、暑さから逃れられるのはうれしい。


 11時15分、猪谷着。びっくりしたのはホームで折り返し奥飛騨温泉口行きを待っていたファンの数。行きよりずっと多い。筆者が乗った猪谷発8時53分は金沢から乗りに行くにしても朝早く出なければならず、今乗ってきた列車の折り返し11時26分発の方が遠方からでも使いやすいからだろう。




猪谷到着時のディーゼルカー内部 ユニークなディーゼルカーだ。神岡鉄道廃止後はスクラップにせず、のと鉄道のように譲渡するなどして有効に使ってほしい。




折り返しを待つディーゼルカー




JR西の駅名板にも次の駅の表示に神岡鉄道の「ひだなかやま」がある。来年には消えてしまう。


 これで最初で最後の神岡鉄道の旅は終わる。もっと早い時期に乗っておけばよかったかもしれない。できれば濃硫酸輸送の貨物列車付きで。

 来年秋に高山本線の不通区間、角川〜猪谷が復旧し、高山回りで金沢に帰るときにはもう神岡鉄道はなくなっている。乗り換えで猪谷駅に降り立ったとき、今日を思い出すだろうか。


END


なお、この日の旅は終わりではない。続きはここ



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