2007年夏 青春18きっぷ九州巡り 2日目 ( 8月14日)



2日目に乗った列車

乗り換えた駅
大分 久大本線 1834D
610
日田 845
久大本線 1838D
920
久留米 1023
鹿児島本線 5333M
1026
八代 1303
肥薩線 1229D
1410
人吉 1524
肥薩線 1257D
1709
吉松 1807
吉都線 2934D
1822
都城 1949
日豊本線 6960M
2025
延岡 2334
大分6時10分発  延岡23時34分着
17h24m  543km  31.1km/h


  2日目朝、ネットカフェの床で目覚める。床はゴツゴツしていたので満足に眠れなかった。2000円少々で泊まれるところといったら他にないのだが、せめてクーラーの騒音だけは何とかしてほしかった。

  眠い目をこすり、6時前に駅に入る。朝が早いので誰もいない。久大本線の一番列車に乗るために、改札を通る。これで切符のスタンプは3つ目だ。 ホームに来たのは、全身黄色のキハ220と九州色のキハ47の2両編成。筆者は国鉄時代の古い車両好きなので、先頭となるキハ47に乗る。エンジンは取り替えられている。  



朝早くの大分駅 小倉方向の一番特急




キハ220 キハ47


  ローカル線の一番列車なので、客は少ない。片手で数えられるほどの人数で、大分発。しばらくは市街地を走り、次第に山の中に入る。そして、よくぞこんなところに線路を敷いたものだと思わせるほど、深いところを走った。

  ふと視界が開けると、由布盆地。駅の位置の関係か、地形のためか、蛸壺のような線形になっている。7時半ちょうど、由布院に着くが乗ってくる客も降りる客も皆無、観光地の駅としてはさびしかった。





一番列車の中 山に霧がかかっている 誰もいない由布院駅


  この日最初の乗換駅となる日田に着く。久大線沿線では大きめの町だが、ここの駅もあまり人がいない。着いた列車は折り返し天ヶ瀬となってすぐに走り去り、Denkoをはじめ乗り換え客以外はいなくなった 久留米行きが来るまで30分ほど、暑い中ぼーっとしていた。




今まで乗ってきた列車 別府行きのゆふDXが来る


  日田から県境を越え、夜明で日田彦山線が合流する。しばらくは三隈川に沿って行く。周りが開けると、もう久留米は近い。この辺の車窓は、大糸線の白馬に似て高原的だ。


  大分から4時間強、九州西岸の久留米に付く。すぐに八代行きに乗り換え。久留米駅は新幹線工事の最中で高架の橋げたが立ち始めている。あと数年で、鹿児島が博多と、大阪と、間接的には東京とつながる。 八代行き電車は817系2両。本線を走っているにもかかわらず、ワンマン運転。やはり、新幹線がつながると三セク化するのだろうか?

  途中、大牟田で15分近い停車。東京からの特急「ばやぶさ」と特急「リレーつばめ」に抜かされるためだ。言うまでもなく、撮影タイムとなる。






久留米 はやぶさのカマ ばやぶさの尻 大牟田





隣では貨物が入れ替え中 タンク車、後ろにはコンテナ車 前面が黒い817系


  再び鹿児島本線を南下。もう1時間半も座っているが、疲れない。これはシートのおかげにちがいない。 JR九州ではJR化後に車両の抜本的イメージチェンジを図った。ソニックや白いかもめはその代表例だが、 各駅停車用の電車も大きくてこ入れした。車内も今までの国鉄型ではなく、電車の中だと思えないような 斬新なデザインになっている。さらに、シートには皮を使い、座り心地がよく、窓は特大だ。そのため、 各駅停車でありながらある意味JR西や東海の特急より快適だ。

  昼飯にちょうどいい時間に熊本に着く。ここでも10分ほど小休止。駅弁を仕入れる。「たこ飯弁当」と いう名だが、肝心のたこはあまり入っていなかった。たこだと思っていたものは鶏肉だった。





各駅停車でありながら快適だった 熊本駅 リレーつばめ




豊肥本線用の815系 たこ飯弁当


  熊本からさらに鹿児島本線を南下。このへんも九州新幹線の工事が真っ盛り。熊本駅のホームの配置が変則的だったのは工事のためらしい。新幹線の足音が一歩一歩近づいてくる。

  新幹線ホームへのアプローチ線が分岐する新八代を通過して、八代。ここで肥薩線の人吉行きのために1時間ほど待つ。八代の駅は幹線の駅と思えないぐらい静まり返っている。やはり、玄関口は隣の新八代に 奪われてしまったのだろうか。すみっこの肥薩おれんじ鉄道乗り場も同様。





架線下のディーゼルカー路線 駅前だが人影はまばら 817系とキハ47


  人吉行きの発車まで1時間以上ある。九州の夏空の下はつらい。待合室でボーっと過ごす。

  人吉行きの気動車が入線してきたので、2両編成のうちの後ろ側に乗り込む。気動車内はなぜか冷房が 動いていない。車掌があわただしく動いている。どうやら、冷房用エンジンがオーバーヒートしてしまった ようだ。発車までには何とかすると案内があった。

  13時過ぎ、定刻に八代を発車。冷房はどうにか動いた。助かった。旧鹿児島本線、現肥薩おれんじ鉄道の 線路を右に見て、球磨川沿い、山の方向に進路をとる。はじめは広かった谷も、進んでいくにつれ狭くなる。 気が付けば、道路と線路が谷の壁に張り付くようなところを走っていた。20世紀になるかならないかのころ、 よくぞこれほど山奥に線路を敷いたものだ。

  途中やや激しく雨が降るが、すぐに上がる。渡で人吉盆地に入り、視界が開ける。




これから線路を導く球磨川 渡駅 ここで人吉盆地に


  人吉に着く。外に出るとむっと暑い。さっきの雨のせいだ。駅には誰もいなくてさびしい。平日だから仕方がない。ここでも1時間ほど待たされる。





はるばる大分から来た特急 このあたりの中心駅 ほとんど無人のホーム





くまがわ鉄道の気動車 吉松方向を望む 人気列車の乗り場


  待合室の町の案内には「人吉温泉」なるものがあった。着替え等々は持ってきているが、 荷物が重いのであまり動き回りたくなかった。蒸し暑さもひどいので、駅前の土産屋で暇をつぶすこととした。 せっかくなのでいくつか土産を。南九州特産のそばとまんじゅうを買った。


  吉松行き発車が近くなってきたのでホームに戻った。





人吉駅 これから峠を越える気動車 人気列車、いさぶろう


  待合室で待っていた人も皆、Denkoと同じく青春18属のようだった。これから九州の屋根を越える。 人吉を発車したディーゼルカーはしばらく人吉の町の中を走った後、山登りを始める。1000分の25の勾配のため、 エンジンはうなっているもののスピードは一向に上がらない。蒸気機関車時代は牛歩もいいところだったのだろう。 周りは木ばかりで、視界はきかない。時折車体に木の葉や枝がぶつかる。

  気が付けば、気動車はずっと左にカーブしている。例の大畑ループだ。勾配は相変わらず続いている。エンジンが全力で回転している。

  一瞬、視界が開けた。はるか彼方まで見通せる、とても壮大な景色だ。ディーゼルカーは人気のない中を走っている。

  突然ATSのチャイムが鳴った。大畑駅のスイッチバック折り返しまで来たらしい。運転手は反対の運転台に移り、バック運転を始める。スイッチバックは出雲坂根以来だ。ちょっとはしってすぐに大畑駅ホーム。いずれ降り立ってみたい駅だ。

  乗る人も降りる人もなく、発車。まだまだ登りは続く。このあたりも、1世紀も前によくぞ線路を敷いたものだと思わせるような所だ。いくつかトンネルを抜ければ、矢岳駅。SL時代は大畑から各駅で休み休み走っていたのだろう。
矢岳駅からすぐ先には矢岳第一トンネル。長さは2kmほどで、今ではそれほど長大なトンネルではないが、当時としては長いトンネルで、工事は難航を極めたとか。肥薩線で一番標高が高いところでもある。ここから下りに転じる。

  トンネルを抜ければ今までのエンジンのうなりはずっと静まり、軽々とスピードが出るようになる。苦あれば楽あり といったところか。それにしても惜しい。「日本三大車窓」は霧のため拝めなかった。また、景色は進行方向左手だった。そのことを知らず進行方向右側の席に座っていたので、仮に晴れていても満足に味わえなかっただろう。 次来るときは、「晴れの日、進行方向左」を忘れてはいけない。

  しばらく下ったところには真幸駅。真の幸せという縁起のいい名前で、今でも切符が良く売れる駅。駅の周りは無人。

  どんどん山を下り、吉松。ここで山越えは終わり。同時に、乗換え。肥薩線で隼人まで出るつもりだったが、吉都線に 急遽変更。発車待ちの気動車内でそう決めた。次来るときはもっと早い時間帯に来るだろう。この時間帯より早いと、 吉都線には接続しないから、今乗っておいたほうがいい。そう考えての変更だった。





「三大車窓」もどき 重厚な矢岳駅 3列車が並んだ吉松駅
 

  吉都線のディーゼルカーは2両、しかし1両に詰め込んでもでもスカスカなほどしか客はいない。 ワンマン運転のため2両目は主要駅以外では戸が開かない。そのため地元の人は1両目に乗っていて、 2両目は小林あたりで無人になってしまった。つまり、通しで乗る乗客は筆者以外に皆無ということ。皆隼人経由なのだろう。

  吉都線は幾分開けた高原状の所を走る路線のようだ。本州で言えば大糸線の信濃大町〜白馬に似ている。 それほど急峻な地形はなく、人気がないような感じでもない。だが、小さな駅で乗る人はほとんどいなかった。 えびの、小林、高原といった少し大きめの駅で客の一部が入れ替わる程度。筆者一人だけの2両目では扇風機や クーラーが主のない席を冷やし続け、後ろの窓から景色が流れ去っていくのみ。

  そしてすっかり暗くなり、さびしさを乗せたまま都城着。駅もホームは無人なようで、ディーゼルカーの中と大差なかった。





すっかり寂れているようだ Denkoのためだけの2両目 反対列車も似た様子
 

  やっと町らしい町に出た。日はとっぷりと暮れているが、まだ今日は終わっていない。ここ都城から3時間ほど かけ、延岡まで行って今日が終わりだ。車窓はもうないに等しいので、暇つぶしの本だけが頼りだ。

  延岡行きは今日来る目から八代まで乗った817系。やっぱり快適。疲れているときは助かる。さっきの吉都線よりは客が多く、半分ほどシートが埋まっていた。

  ちなみにこの電車は鹿児島中央発で、もしさっき隼人経由にしたとしても乗ることとなる。また、鹿児島中央発は18時40分で、200キロを5時間かけて結ぶ特急並みの長距離各駅停車ということになる。延岡に着くまで暇つぶしに
調べていたら、九州には運転距離が100kmを超えるような長距離鈍行が多いことが分かった。

  電車はガタガタ揺れる。体感的には結構飛ばしていると感じられる。JR九州でも線路のメンテナンスの差があるようだ。

  9時半ごろに宮崎に着く。ここで40分ほど停車。夕食を食べていなかったので改札を出て駅でドーナッツを食い、 再び電車に戻る。宮崎に着く前に分かっていたが、ホームライナーが延岡へ先行する。乗車整理券310円が必要。 今日は特に急ぎではないし、得するのは半時間弱ほどなのでそのまま各駅停車に乗り続けることにした。

  11時半、延岡着。ここで今日は終わり。昨日の大分のように宿はネットカフェでなく、ビジネスホテル。明日も早い。さっさと寝た。





駅名標だけが明るい 数少なくなった国鉄型電車 重たい荷物
 



9時も回ると静かな宮崎駅 今日はここが終点
 


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