そして最終日。お別れのときがやってきた・・・この日は筆者一人だけで金沢を朝7時ごろ出て現地入りした。
鵜飼駅では地元の子供たちが最終日の列車を見に来ていた。皆大きくなってものと鉄道や能登半島のことは忘れないだろう。
まずは終点蛸島へ 朝早くからにもかかわらずもう多くの人が乗っている。
何度見ても右隣りの駅の空欄はさびしい。鉢ヶ崎などは夢のまた夢
ホームには報道関係者もいてごったがえしていた。後日友人に中日新聞を見せられ驚いた!なんと列車から出てきた筆者が大きく写っている!
今まで乗ってきた列車を見送る 今日は全列車3両編成だろう
列車が去っても熱気は去らない。今日が最後だからだ。
終着駅では必ず車止めを見てしまう。
今まで乗ってきた列車と入れ替わりに団体列車が入ってきた。「さよなら能登線」のヘッドマークが廃止を強く意識させる
待合室に張ってあった大勢の人の声 のと鉄道が夢を運んでいた証だ。
2日前と同様、蛸島駅近くの踏切から いつ見ても行き止まりの駅には見えない
しばらく蛸島駅周辺をぶらつく。駅ではのと鉄道グッズのオークションをやっていた。言うまでもなく穴水~蛸島に関するものは高値がつくだろう。
ホームから見た駅舎 藍色の「たこじま」がいい味を出している。
その後2日前と同様歩いて珠洲へ。
この駅名板ともお別れ。国鉄時代からお疲れ様。
この駅前がにぎわうことはない。「観光センター」なんてもう誰も来ない・・・
そして珠洲を出る。
車窓からの恋路浜 列車からのこの景色はこれで最後・・・
もうこれでお別れ。のと鉄道穴水~蛸島・・・
いや、まだ帰らない。
甲駅で最後ののと鉄道能登線の空気をじっくり味わおう。
知らぬ間に晴れてきた。最終日にもかかわらずこの駅は静か。
列車が去って風と波の音だけになった甲駅のホーム この静けさがよい
あまりの居心地のよさに、今日がお別れだということを忘れてしまった。
能登の静けさに埋もれて気持ちよくなっていると、遠くから汽笛の音が飛んできた。
入り江の向こうに穴水からの3連の列車が姿を現す。
そしてゆっくりと甲駅に入ってくる。撮影のために愛好家が何人か降りた。
まだここにいたい。能登の空気を味わいたい。
ヘッドマークつきの団体列車が来た
そして、とうとうお別れ。4時ごろ、穴水行きに乗る。これで最後。さらば・・・
穴水に着いた。これでもう穴水から先へ鉄道で行くことはない。乗ってきた車両もだいぶくたびれている。この列車の運転手は穴水以北の運転が最後だったと車内放送で語った。
穴水では新車が待っていた。どうかのと鉄道を立て直してほしい。
のと鉄道穴水~蛸島は2005年3月31日を最後に列車が走らなくなった。穴水から延伸に延伸を重ね蛸島に達したのは1964年。それから40年ほどで廃止となってしまった。
能登ブームはとっくに昔話で、能登半島は人口が減少し活気が失われるばかり。今回の廃止で能登の過疎化に拍車がかかるのはもはや時間の問題なのかもしれない。
それでも、筆者は能登半島とそこを走ったのと鉄道を忘れることはできない。
END
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