第4曲 魔女の幻想



原曲 : 「うみねこのなく頃に」 より 「mother」 「happiness of marionette」 「Towering cloud in summer」
作曲 : dai
アレンジ : chiquchoo
  

楽譜音源


 今ではうみねこ組曲の核となっているこの曲ですが、実はこの曲は最初単曲として組まれた曲だったりします。というか、徹夜でテストをこなしたとんでもない状態の頭の中で考えついた曲だったりしますw。最初の案では中間部は変拍子の嵐だったのですが流石に無茶苦茶すぎたので自重、しかしながら中間部以降の跳ね回りっぷりはその頃の面影をよく残しています。
 が、基本的にはこれでもかというほどの構成重視の曲になりました。制作途中にて、既に他の4曲を以って完成系としていた「Ride onの主題による変奏接続曲」に編入させることが決まり、その方向で調整したのがそれに輪をかけています。そしてその構成は、この曲の編入によって全体を「うみねこ組曲」に変えてしまうほど強い意味付けを持つもの。最後に編入で入ってきた曲でありながらこの組曲の中核を担い、“うみねこ出題編のchiquchoo的解釈を表現する”というこの組曲の意義の上でも、最もメインの部分を描く曲です。この曲が5曲を「うみねこ組曲」にした、すなわち5曲の方向性をこの1曲が深化させてしまったとも言えます。

 この曲は大きく2つの部分に、2つの観点において分けることができます。1つ目はテンポで、前半と後半の重い部分と、比較的軽快な中間部分。これは前者が現実を、後者が幻想を表しています。もう1つは中心旋律で、motherの部分とhapiness of marionetteの部分。前者はニンゲンの世界、後者が前曲「魔女たちとさくたろうのワルツ」に引き続いて魔女・魔法の世界を示しています。最初のほうはこの両観点による区切りは一致していますが、だんだんと崩れていきます。それは魔女幻想がニンゲンの現実を侵食し、そしてにもかかわらず魔女幻想側も現実の影響を受けて暴走してしまうことを示すものです。

 魔法とは何なのか、ではなく、魔法とは何のためのものだったのか、と問うてみましょう。その答えはあちこちに転がっていますが、特にEp.4の真里亞のそれがはっきりしています。もし魔法がなければ、彼女は現実の不幸に押しつぶされていたでしょう。譲治との恋を育んだ紗音、コンプレックスをばねに黄金を見つけ出した絵羽。私は魔法は元来、それを信じることで自らを助けるものであると解釈しました。

 さて、話を再び楽曲に戻しましょう。目の前には“客観的に判断して”潰れてしまいそうなほどの辛い現実があります。しかし魔法の世界に足を踏み入れたことでそこに新たな解釈、新しい世界が広がります。しかし他の者の魔法への不理解、また魔法をもってしても癒しきれない現実への失望などにより、幻想の世界に表向きには分からない亀裂が入っていきます。そして崩壊。そこにいたのは金蔵がいかなる犠牲をも辞さずに再び追い求めた魔女か、さくたろうの遺恨で黒く染まった小さな魔女か、金塊を奪われまいとする疑念の魔女か、それとも……。暴走した魔女幻想はそれを飲み込もうとし、現実は更に悪化の一途を辿るのです。

 かくして、六件島で事件は起こります (注:事件自体はこの曲は描いていない) 。どこがどの辺りの小節に当たるかまでは語りませんよ。…というか、曲自体のほうがこんな解説よりよっぽど“語っている”ような気がw。

 しかし、この解釈に唯一当てはまらない箇所があります。それが75小節目からの部分で、Towering cloud in summerのアレンジの形でではありますがRide onの主題が登場します。これは他の4曲からもお分かりになるように、この物語のどちらかというと光の面を描いた旋律です。それがなぜここに?

 私はこの部分で、“うみねこのなく頃に”における、私の思う“魔女側の主題”を語ろうとしました。先述の論によるならば、魔法は単なる現実逃避の妄想になってしまいます。私はそれは否定したい。魔法に触れて得たものは、愛をもって魔法に接することで“視えた”ものは必ずある筈です。この部分のイメージはベアトとのお茶会。紗音や真里亞は何を得たのか、何が視えたのか。それは決して無ではないと、私は信じています。


・演奏の手引き

 うーん、正直この曲はどう弾いてもらいたいのか、私も良く分かってはいません。というか何パターンか弾かせ方を考えてみたのですがこれという決定打がないというか、弾き方が本当に多様だと思うんですね。

 その上での楽想記号ですので、それらは本当に“どんな弾き方をするにしてもまず従ってみるもの”だと考えて下さい。絶対強制ではありませんがいい目安になると思います。そして特に中間部分は適宜滑らかに弾いたり切ったりと色々試してみて下さい。私はメゾスタッカートを多用して味付けしたのが一番好きかな。
 その上であっても、大概の弾き方において曲全体のイメージは決して軽快になりません。そういう曲ですので、と言ってしまえばそれまでですが、つまりそれが事件直前の六軒島とも言える訳です。あくまで重い意味を含ませた曲ですので、味付けを決める際、弾く際にはその事を頭のどこかにしっかりと置いておいて下さいね。組曲通しての演奏の場合は5曲の芯になっている曲だけに尚更です。


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