信州回りの旅


2006年8月7日&31日


8月上旬、やっと大学の最後の講義が終わり金沢に戻れるようになった。今年は特急しらさぎで直行するのではなく、少々工夫することにした。

もちろん青春18切符を使う。そうすれば特急より安上がりな上乗り放題となる。前から名古屋と金沢を行き来するのにはどんなルートがあるか調べていたが、 今回は 名古屋 → 中央線経由松本 → 大糸線経由糸魚川 → 北陸線経由金沢 を 使うことにした。

青春18切符を使い慣れている人から見れば、もっと長距離の乗車できると思うだろう。もちろん筆者も思っていた。名古屋発の一番列車に乗れば金沢には18時前に着く。

そこで、氷見線と城端線に寄り道することとした。両路線とも、金沢からはすぐに乗りにいけるにもかかわらず乗ったことがなかった。こうすれば、金沢着が21時ぐらいになる。

あと、夏休みの暇つぶしに8月31日に金沢から7日の逆ルートで名古屋に向かい、そのまま東海道線・北陸線回りで帰ってくる「中部大循環」もやった。写真で日付の記述のないものはすべて7日のものだ。

8月7日に乗った列車と時刻を示そう。


路線 列車番号 発着時刻
中央線701M千種 627
中津川 733
1827M 739
松本 1013
大糸線327M 1110
南小谷 1302
429D 1333
糸魚川 1427
北陸線560M 1530
富山 1641
442M 1644
高岡 1702
氷見線545D 1726
氷見 1754
544D 1802
高岡 1832
城端線345D 1841
城端 1929
348D 1939
高岡 2029
北陸線454M 2038
金沢 2177


8月6日の朝、早く起きて千種駅に向かう。いつもなら名古屋駅を目指すのだが、今日は反対方向、松本方向である。千種から中津川に行ける一番列車、701Mに乗り込む。

まだ早い時間帯なので、中津川乗換えを除いて寝ていた。




(31日)中津川駅に停車中の313系8000番台 セントラルライナー用のグレードが高い車内設備だが、朝には一般型の車両と組んで通勤輸送を担う。




(31日)中央西線用313系1000番台


中津川発松本行き1827Mは313系3000番台だったが、座っていて疲れた。北陸地区の各駅停車、タウントレインのように背が直角ではないにもかかわらずだ。また、冷房が効きすぎて寒かった。座席も冷房も北陸線のタウントレインでちょうどよかった。

眠くてぼーっとしていたので、上松と奈良井で特急にぬかされたことしか覚えていない。313系よりは113系のほうが旅情があったろうに。

10時過ぎ、松本に着く。2回目の松本だ。前とは違って工事をしていた。どう生まれ変わるのだろうか?ここで食料を調達。菓子と駅弁「とりめし」を買った。




特急あずさがE257系であること以外、前回と変わっていない風景




新島々方向へ行く松本電気鉄道 JR東日本とホームを共有している。両者の間には仕切りが一切なく、知らなければJR東日本の車両に見える。




今や1編成のみとなった神領の381系




信濃大町方向へ出発




大糸線ホームに停車中のE127系 これに乗って北上する




正面から


11時10分、南小谷行き327Mは松本を発車した。立ち客がたくさん出るほどの乗車率だった。2両では足りない気がした。客は山男など登山・合宿目的の客が多かった。

電車は穏やかな安曇野をゆっくりと進む。信濃大町までは元来私鉄だったので、駅間距離が短く駅が多い。だが、駅はそれぞれの表情を持っていた。

信濃大町で学生の大半が降り、山男の一部も降りた。信濃大町から先は列車本数が減る。信濃大町からは日本海側の糸魚川に出るまで市と名乗る町がなく人口が少ないからだ。

電車は再び安曇野をゆっくり進む。松本を出て間もなくと違って、両手と行き先には山が迫っていた。この先は高原の里、白馬や小谷だ。




稲尾駅 信濃大町より高原の感が強くなる




近くにヤナバスキー場がある簗場駅で列車交換 冬は大いに賑わうのだろう。


木崎湖をはじめとするいくつかの湖のそばを通り、林を抜け、白馬着。白馬には中学校時代に2度ほど行ったことがあった。緑の山が美しく、涼しくて落ち着いているいいところだという印象は、今も変わらない。




先に大糸線に入っていた381系の臨時特急しなのが休んでいた。


白馬を出れば、もう平地は猫の額ほどしかない。電車は今までよりいっそうゆっくり北上する。




山はもう隣まで迫ってきている。カーブがきつい。


松本を発車してから1時間半弱、13時過ぎに南小谷に着く。




南小谷駅では新宿と行き来する特急あずさが休んでいた。利用客の割には、長い編成である。




この先は非電化なので電車では進めない。




前回信州回りの旅をしたときと変わらない駅名板




前には見なかった駅名板 少々読みづらい











通常の編成のまま大糸線に入線している特急あずさ用E257系500番代 後方の車両はホームをはみ出しているに違いない。




特急あずさを先頭から 独特な顔である。


ここ南小谷から糸魚川までは非電化だ。同時に、JR西日本の領域となる。大糸線全線(南小谷から糸魚川)はだいたい100キロだが、末端の30キロだけが非電化であり、JR西日本である。いっそう糸魚川までJR東日本とし、電化してしまえばよかったと思う。




南小谷の着いてからおおよそ20分後、折り返し糸魚川行きとなる単行のディーゼルカーが来る。ここ大糸線北端で使われる気動車キハ52系の3両は、40年前に製造されて以来エンジン取替えをしていない。JR東のキハ52系はすべてエンジンを交換してあるため、エンジンを交換していないキハ52系はここだけだ。

ここのキハ52系3両はエンジンは元のままだが、ワンマン化、冷房取り付け、トイレ撤去の改造がなされている。前述のように製造から40年がたち、古いのでいつ置き換えられてもおかしくない。どうか少しでも長く走ってもらいたいものだ。

ちなみに、最近3両のうち2両をそれぞれ違う色に塗装し直した。1両は朱色一色で「首都圏色」、もう1両はクリーム色と朱色による「国鉄標準色」だ。これで糸魚川の3両のキハ52系はすべて色違いとなった。なお、この日来たのは「国鉄標準色」の方。

気動車が入ってくるなり、筆者も含み、鉄道好きはあわただしく動き始めた。みな、キハ52狙いなようだ。




上の写真とは反対側の写真




(31日)首都圏色のキハ52とE127系の並び

40年前のエンジン、DMH17型エンジンを搭載しているキハ52系。DMH17型エンジンは基本設計が戦前であり、製造されたときでさえ時代遅れのエンジンだったが、国鉄は冒険をするより信頼性を求めたので、国鉄の標準エンジンとなり昭和30年代から40年代にかけて製造された気動車に幅広く使われた。

馬力は1台180馬力で、電車のモーターに比べてかなり貧弱で、1台だと勾配(傾斜)がきつい路線では40km/hも出ず、蒸気機関車よりも登坂力が劣っていた。そのため、キハ52系はDMH17型エンジンを2台積み、360馬力としている。しかし、それでも今の気動車の350馬力×2や450馬力×2には遠く及ばず、電車には全く勝てない。

しかし、きちんとメンテナンスをすれば故障なく動くといい、糸魚川のキハ52系3両はその信頼性もあって生き延びてきたのだろう。しかしメンテナンスには熟練した技術が必要で、基地のある糸魚川でキハ52系のメンテナンスをできる整備士は5名もいないという。




運転室 今の車両とは違い、レトロな感じがする。


1時半過ぎ、糸魚川行き単行ディーゼルカーは南小谷を出発した。車内は立ち客が10名ほど出るほど。話を聞いていると、ほとんどが青春18きっぷの旅行者だった。キハ52系を使う限り、青春18切符のシーズンだけでもある程度の客が見込めるのだろう。ただでさえ利用客が少ないので、あえてここだけキハ110など新車を入れずにキハ52を残しているのかもしれない。ファンとしてはうれしい限りだ。前からJR西はファンサービスが旺盛である。

さて、車窓は白馬よりずっと急峻になる。平地はほとんどなくなり、線路はトンネルで山を抜けることが多くなった。このあたりは姫川が削った谷である。さらに元をたどれば、フォッサマグナが姫川を作った。糸魚川から安曇野、松本盆地、諏訪湖を中心とした諏訪盆地といった盆地は、みなフォッサマグナが作ったと言われている。




北小谷を出たあたり?目の前には岩山が立ち、地形は急峻だ。


数駅進めば平地は全くなくなった。姫川の両岸はがけのように立ち上がり、山になっている。並行する国道148号線や大糸線はそのがけをくりぬいたところを走っている。そのため、両者とも落石よけのシェルターに覆われた区間が長い。

前述のように、このあたりはフォッサマグナであるため、(厳密には、フォッサマグナは線ではなく帯状の地溝(低くなっている所)であり、糸魚川 - 静岡構造線とはその西の端である)

地殻変動が激しく、多雨の時はトンネルが崩れる危険があることから国道はしばしば通行止めになる。それだけでなく、何度も大雨で姫川が暴れ、長い間通行止めになったこともある。同時に大糸線も鉄橋を流されるなど壊滅的な被害を受けた。南小谷から糸魚川は長い間、今でも交通の難所となっているようだ。




平岩駅に着いた。ここには温泉やスキー場があるようだが、駅からは遠いよう。写真の合流してくる線路の錆を見てのとおり、今は交換設備は稼働していない。

ひたすらシェルターに覆われて走る。トンネルも多い。トンネルの間では姫川を渡る。戦後、1957年にやっと開業した区間なのもうなづける。




駅のポイントやカーブでしばしば時速20キロ台の制限速度が出現する。これはカーブがきついからではなく、経費削減でメンテナンスの回数や手間を減らすためであろう。2001年〜2002年の冬を最後に、大糸線を経由するスキー客向け臨時列車がなくなったのもそのためなのだろう。

ディーゼルカーは古いエンジンをフル回転させ、40km/hほどの速さで勾配を上る。
糸魚川は港町で、南小谷は高原なので、南小谷から糸魚川へ行く場合には下り勾配が中心になり、
まだ楽だろうが、反対に南小谷行きは厳しいだろう。





姫川を渡る 大雨でひどく暴れるそうだが、この日の姿からは想像できない。この写真にはないが、シェルターからのぞく護岸改良がすさまじさを物語る。大糸線が通っているところで最も急峻なところは写真奥ぐらいだったと思う。


小滝を過ぎ、根知の手前で視界が開けてくる。糸魚川に近づいている証拠だ。




広々としてきた。水田もある。人家も増えた。

そして根知到着。ここは大糸線北端で唯一の交換駅だ。ただ、今乗っている列車は
交換しない。




大糸線北端の写真撮影の名所のひとつともなっている。


もう平地に出たので、糸魚川までひとっ走り。


大きなセメント工場が見えてくれば、糸魚川着。





糸魚川駅構内 北陸線と大糸線が交わる駅であり、車庫もある少し大きめの駅


糸魚川着は2時半前。そういえば昼飯をまだ食っていない。腹を減っていることを忘れていた。



糸魚川到着時のキハ52の車内 折り返し南小谷行きを待つ人は少なかった。




今まで乗ってきたディーゼルカー 皆も撮影タイム




ディーゼルカーの車番 キハ52 100番台の15号機




列車にトイレがないのは大糸線だけではない。今見ても驚かない


松本で買った駅弁「とりめし」を食う。うまい。野沢菜の塩味が絶妙であり、鶏肉がジューシーだ。うまいのであっという間に食べてしまった。しかしまだ腹が空いている。金沢方向への列車は3時半発で、1時間近く待たなければらならない。青春18切符で乗ってきたので、途中下車は自由。糸魚川駅を出てみたが、これといったものはなかった。思ったよりさびしい町だった。上越市(駅では直江津)もそうだった気がするが、魚津と新潟の間の日本海側の町はなぜさびしいのだろうか?

このままぼーっとしていても腹が気になるだけなので、撮影タイムを延長。




今日乗った気動車




1両だけ残った未塗装変更車 元はこの色は大糸線色ではなく、越美北線色




首都圏色と呼ばれる朱色一色のキハ52


3時半、富山行き普通列車が来る。タウントレイン、475系だ。今年の10月下旬のダイヤ改正で阪神地区の新快速の敦賀乗り入れが実現し、同時に交直両型電車521系が投入された。

521系電車は今後増備され、今まで北陸線各駅停車に使われてきた475系、419系などをすべて置き換える可能性がある。すでに完全直流化された敦賀以南からは撤退しているので、時間の問題かもしれない。Denkoが好きな国鉄型車両なだけに、少しでも長く走っていてもらいたいものだ。


富山で金沢行きに乗り換える。しかし、金沢へそのまま帰るわけではない。
高岡から氷見線、城端線を乗りに行く。




高岡にて レッドサンダーことEF510を先頭とする貨物列車 各駅停車用電車だけでなく、電気機関車も新車に置き換わりつつある




高岡駅の0番線ホーム付近 昭和を強く感じさせる。




氷見線のホームは駅の端にある7番線と8番線。金沢から富山方向に行くときはいつも高岡駅の氷見線や城端線のディーゼルカーを見てきたが、乗ったことはなかった。今日、初めて乗ることとなる。


17時過ぎ、高岡を発車。北陸線と並行して間もなく右にカーブする。帰宅の高校生が多い。

貨物駅として有名な能町に着いた。思っていたより大きな駅だった。今度駅の周りを散策したい。3セクとして再出発した万葉線を見るのと兼ねて。

越中国分からは日本海のすぐそばを走る。窓から手を伸ばせば海水をつかめそうだ。




海には岩が浮かんでいる。二つあり、男岩もしくは女岩と呼ばれているそうだが写真はどちらかは分からない。それにしても、本当に海に近いところを走っている。




海水浴場で有名な雨晴 夏は賑わうのだろう




駅の裏は海の家か?


やや内陸に入り氷見着。少しさびしい感じの駅だった。夕方のせいかもしれないが。




右の機回し線はDE10が使っていた。




氷見は行き止まり 七尾まで延ばす計画があったとか


氷見から駅を出ずにそのまま折り返す。帰宅の女子高生でさらに混む。


高岡に着いた。まだ金沢行きではなく城端線列車に乗る。

城端線のホームである1番線や2番線も氷見線ホームと同様に駅の端にある。




城端線のディーゼルカー エンジ色の高岡色ではなく忍者列車となっている


城端線も高校生で混んでいる。氷見線にしろ城端線にしろ、通学の高校生が主な顧客なのだろう。

混んでいたのは戸出や砺波までで、終点城端に着くときには4両編成にするにはもったいないくらいガラガラになった。




城端に着いたときには日がとっぷりと暮れていた。日没前後だったので城端線の景色は楽しめなかった。今度また。


再び高岡に戻り、金沢に向かった。


END



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