2005年の3月に大学受験が終わり、名古屋市内の某大学に進学することとなり、筆者は金沢から名古屋市某区に移り住んだ。この旅は名古屋に移り住んで最初の旅である。
名古屋に移り住んで最初の休み、どこかに行こうと思った。どこがいいだろうか。新幹線を横に見つつ東海道線を行くのも悪くはないが、行くならもっと自然を満喫できるところがいい。お隣岐阜県の樽見鉄道が目に付いた。
樽見鉄道とは岐阜県の西部、滋賀県や関ヶ原に近いところにある大垣から北へ根尾川に沿って山の中の樽見までを結ぶ鉄道である。
樽見鉄道は第三セクターで、1984年に国鉄樽見線から転換した。当時は樽見までは列車は走っていなかった。列車は途中の神海まででその先樽見までは建設凍結となっていた。転換後に樽見鉄道はそれを完成させ、名前どおり「樽見」鉄道となった。
行く前は現地の駅に着いてからの行き先はあまり考えていなかった。大垣に着き、樽見鉄道のホームに向かう。そこでは「桜ダイヤ」の張り紙たくさんが踊っていた。
それによると、終点の樽見の近くには薄墨桜と呼ばれる名物の桜があり、満開で見物客が増えるから、春のみの特別ダイヤで運転しているのだという。徒然なるままにやってきたが、見るものがありそうだ。こりゃいい。
そういえば、終点の樽見のとなりの水鳥(みどり)は100年以上前に起こった大地震「濃尾地震」を引き起こした根尾谷(ねおたに)断層がある。おもしろくなってきた。
やってきたのはディーゼルカー2連。転換時に入れた小型のいわゆる「レールバス」と最近入れた新車だった。
座席が半分埋まったころ、大垣を発車。起点大垣からしばらく東海道線と並んで走る。ディーゼルカーは遮る物もなくまっすぐ伸びる線路を力いっぱい走る。
東海道線と分かれたかと思うと、西大垣。起点の大垣の隣駅だが、列車交換ができる。長年風雨に耐えてきたであろう「にしおおがき」の駅名板をみると、今乗っているのは都市部の電車ではなく、木々や川に囲まれてのんびり走る気動車だと強く感じる。
筆者は毎日地下鉄で大学に通うのだが、ぎゅうぎゅうに押し込められ、学校まで20分近く耐えなければならない地下鉄は単なる移動手段であり、旅情など微塵もない。列車の運転本数は多く、駅は新しいが何かが足りない。東海道線を走る電車もそんな傾向がある。
だがこの樽見鉄道は違う。朝夕はいくらか混雑するそうだが、周りに展開する景色は絵になるものが至る所にあり、乗客も皆せかせかしていない。大都会の電車はどうも苦手だ。
話を旅に戻して、ディーゼルカーは田植えをする前の水田の中を進んでいく。春になったばかりで木や草は完全な青ではないが、それも美しい。
十九条という駅を過ぎると道路が線路と並行するようになる。なるほど、ここは条里制による土地の区分が残っているのだ。条里制とは奈良時代よりも前から続いてきた土地の分け方で、1町(およそ109m)を基準にしている。そのため、道路が等間隔にそして平行なる。
しばらく走ると本巣市の中心である本巣に着く。ここには車両基地があり、ディーゼルカーや主に朝のラッシュ時に使われている客車やこの駅の近くにある住友大阪セメントの生産物を輸送するための貨車、ディーゼル機関車の姿を見ることができる。
ここでそれらについていくつか話しておこう。転換後まもなくの樽見鉄道の小型ディーゼルカーでは朝のラッシュを捌ききれなかった。そのためJR東海から中古の客車を数両を購入し、貨物列車のために以前から保有していたディーゼル機関車も使って朝の特定の列車を客車3両で運転し、いくらか余裕が出た。
新しいディーゼルカーを購入しようという話もあったが朝のためだけに買って昼遊ばせるのは効率が悪く、客車ならエンジンが無い分安くまたディーゼル機関車の稼働率を上げられるという理由から客車を購入したそうだ。
ただ、その後開業時に入れたディーゼルカーは老朽化が進んだので新車のディーゼルカーも購入した。今乗っている2両のうちの1両がそれだ。
貨物列車について、じつは樽見鉄道の収入はセメント輸送によるものが4割を占め、樽見鉄道の生命線である。(旧樽見線を完全に廃止せず第三セクター化した理由の一つはこのセメント輸送ためだったらしい)
しかし、企業間の競争が激しくなり、さらにセメントの需要減も重なり貨物輸送は2005年いっぱいで廃止されることとなってしまった。これでは大幅収入減であり、貨物があった今まででさえ赤字だったのがさらに悪化するのは目に見えている。どうか のと鉄道ように列車が走らなくなるのだけは避けてほしいものだ。
さて、本巣を発車した列車の先は、今までの平野とは打って変わって山が迫ってくる。次の駅の織部からはすっかり水田も尽き、根尾川の谷に沿って進む。
トンネルを何度かくぐり、気がつけばかなり深くなっている根尾川を見下ろす。雪解け水が岩をよけて流れている。美しい。
谷汲口は、駅が桜並木に囲まれている。ここで気付いた。まだ桜は全く開いていない。薄墨桜も開いていないのか・・・
国鉄時代の終点だった神海を過ぎれば、さらに山は深くなる。線路は川と一体になる。
終点のひとつ手前、水鳥(みどり)には前述のように根尾谷断層がある。ただ、列車からはよく見えない。帰りに立ち寄ろう。
そして今の終点、樽見へ。もうこれ以上先は線路を敷けないだろうという所だった。
終点樽見で顔を並べるレールバスと客車列車 客車列車は花見による増発列車
今まで乗ってきたディーゼルカー 右に「樽見」と見える
入れ替わりに客車列車が大垣に戻っていった
写真撮影の後、薄墨桜へ。
観光バスがたくさん停めてあった。やはり今は見ごろらしい。
歩いて10分強。ところが谷汲口駅と同様全く開花していない!
それゆえ、見物客は周りの出店のほうに気が向いている。「花より・・・」を絵にしたようなものだ。
仕方がない、開花していなくてもじっくり薄墨桜を見物しよう。
第一印象として、とにかく太い、広い!
太いというのは幹のことだ。樹齢は1000年を越えているそうで、大人10数人でやっと囲めるほどだという。
広いというのは枝の広がり。半径10メートルはあるかもしれない。その広さのため柱で何箇所も支えられている。
すぐ近くに薄墨桜に関する伝説を刻んだ碑がある。なかなかおもしろい。薄住み→薄墨だそうだ。
周りの店で腹を膨らませた後、隣駅の水鳥にある断層を見に行く。
その前にふと山側を見る
あれは白山方向だろうか?まだ雪をかぶっている。あの雪は冷たそうだ。
歩いて隣駅の水鳥へ。行く途中、目に入った新緑が美しい。
水鳥駅前 これをどこにでもある平凡な風景だと思ってはいけない。写真中央を横に走る段差が1世紀前に大地震を起こした大断層である。今でもはっきり分かるほどだから、地震の直後は相当なずれだったらしい。写真が外国の地学の教科書に掲載されたほどだ。
大垣から客車列車が来て終点樽見に向かう。あの列車の折り返しで大垣に戻る。
水鳥駅に停車中の列車
しばらく水鳥駅周辺を散策。断層はとにかく長い。
帰りの客車列車の中 客車列車の鈍行は今やここのみ ゆったりとした時間が流れる
帰りの列車はなんとも優雅であり、ゆったりとしていた。機関車が加速やブレーキの時にガクンと客車列車特有のショックが来るのが気になったが、いい旅であった。とても気持ちよかった。
春のやわらかい日を浴びながら、大垣に到着。ここで折り返しのため機回しをする。
機回し中のDE10ならぬTDE10の1号機。いい風景だ。
機関車が樽見側に連結 折り返し準備完了!
名古屋に来て初めての旅はとても気持ちよいものであった。残念ながら樽見鉄道の客車列車、貨物列車とも2006年3月中に廃止になってしまった。どうかのと鉄道のように列車が走らなくなるのだけは避けてもらいたいと思うばかりだ。