出雲の旅


2003年10月10日(金)〜10月13日(月)


まえがき

10月はじめ、前期期末試験も終わり、ほっと一息。そこへ面白い情報が知人が所属しているある合唱団が、このままでは人数不足で2003年10月12日に開かれる予定の コロフェスタ2003in出雲(全国から合唱団が集まって行う音楽会)に参加できないので、ピンチヒッターとして出てほしいというものだった。もちろん行くしかない。

早速予定を立てる。本番は12日(日)だが、前日に練習したいということで 現地に11日(土)の昼までに集まることになった。金沢から出雲市まで、 サンダーバード+のぞみ+やくもという最速リレーでも7時間近くもかかり、これで行くなら 土曜の朝一番(5時半ごろ金沢発のサンダーバード2号)で出発しなければならず、きつい。 となると使えるのは夜行急行「だいせん」である。「だいせん」は大阪を23時に発し、 倉吉で快速になって米子に6時ごろ着く列車である。前回乗った夜行急行「能登」でだいぶ 夜行に慣れたので問題ないだろうということで行きは即「だいせん」に決まり。 すぐに指定券を取った。

そして帰りは、そのときの気分で列車を選ぶことにした。すなわち、行く前は計画を立てず 帰るときになってはじめて計画を立てるのだ。(この放浪癖はこのあと何年も何十年もずっと続くこととなる)


そして10日(金)、学校から帰ってすぐに駅に向かった。金沢19時40発の雷鳥48号に乗り、 大阪へ。大阪駅にはもう夜の10時だというのにまだたくさんの人がいた。対して金沢には 19時半の時点であまり人はいなかった。やっぱり大都市は違う。

雷鳥から降りてだいせんのホームに行く。この時点ではだいせんを待っている人はそれほど いなかったと思う。ところがだいせんが入線してくるとたくさんの人が集まってきた。 みな乗り込む。すごい!2両編成で片方が指定席車なのだが、その指定席者は満席! 隣の自由席車では座れない人が出るほどだった。指定券をとっておいてよかった。

発車して落ち着いた後、客層を見た。その顔から、このだいせんは知る人ぞ知る列車 なのだとわかった。急行能登路のように観光向けというわけではなさそうだ。

そんなことを考えている間に、眠くなってきた。明日、明後日のことを考えて寝ようとした。 ところが、なかなか寝る姿勢が定まらない。座席のテーブルに伏したり、 頭をたれるなど試したがどれも長続きしない。


加えてやたら走行音がうるさい。福知山線はそんなにメンテがいいかげんなのか? そうでないと考えると、この車両に問題がありそうだ。だいせんに使われている気動車は キハ65を改造して作られたもので、夜行列車向けとは言い難い。防音などがいい加減だと いったら言い過ぎだが、安眠できるには遠い。


何とか寝られたらしいが、まだ3時ちょっと前。ちょっと前に城崎を出たばかりらしい。ああ、眠い。

何回も起きては寝てを繰り返し、米子に着いた。6時ちょっと前にもかかわらず真っ暗。



米子駅の急行「だいせん」 かつては寝台車も連結していたが今となってはたった2両の気動車である。



米子駅のキハ187 最近山陰線は高速化したのだが、そのときに投入された。最高時速は130km、振り子あり。



しばらく待って明るくなった米子駅に着いた。EF64を先頭にした貨物列車



前述の高速化で余剰になったと思われるキハ47


米子で6時24分の発の普通列車に乗り換え。普通列車にも新車(キハ126)が導入された。


米子駅のキハ126


この列車ではよく眠れた。出雲市までの1時間半ほとんど寝ていた。さすがは新車。




出雲市に着いたときにはすっかり明るくなっていた。出雲市駅は数年前に高架化されて同時に建てかえられた。蛇足だが、出雲市の駅前は少々さびしかった。 駅前には2車線の道路と、サークルKがあるのみ。その道路の交通量は少なめで舗装し直したのがもったいなく感じられた。


この後朝飯を食べて、出雲大社に向かおうとしたが、帰りのプランがだいたい決まったので出雲市駅で切符を買うことにした。

帰りは松江から、トロッコ列車奥出雲おろち号(木次線)

芸備線(備後落合、三次乗り換え)

広島から山陽新幹線

新大阪から金沢までサンダーバード

このプランの一番のカギは、奥出雲おろち号の指定券が取れるかどうかだが、 このとき俺が買った券が最後の一枚だった! やはり、帰路を事前に決めなくてよかったのだ!これはおそらく、出雲の神様のおくりものだろう。


出雲大社は出雲の市街地から結構離れていた。(バスで30分弱)




これが全国から神々が集まるという出雲大社。ちょうどこのときが神無月(10月)で、神々が集まっていただろう。ちなみに島根県の出雲地方では10月を神有月と呼んだそうだ。



別のアングルから 全国から神々が集まるだけあって立派なつくりである。


ところで、このときすごい話を聞いた。今回出場するコロフェスタに奉納コンサート というのがあるのだが、そのときになんと大社の拝殿にピアノを入れて合唱をすることがわかった!


これには驚いた!しかも、合唱団の中にはキリスト教の賛美歌を歌うところもあるそうだ。 神様が全く違うのに、大丈夫なのか?それが、大丈夫らしい。なぜなら神様同士は とても仲がよいそうで、争っているのは人間だけだからだという。なるほど。


昔建っていたとされる高さ48m(15階建てのビルと同じくらい)の神殿の復元模型。地元の高校生が作った。最近その神殿の柱が出土していて、存在していた可能性は高そうだ。


この日の午後、次の日の練習をしてから奉納コンサートを見て、(やはり神様の仲はよかった)夜には前夜祭で少々騒ぎ、ホテルでは爆睡。





次の日(12日の日曜日)の午前中、荒神谷遺跡に行った。荒神谷遺跡は、昭和59〜60年にたくさんの銅剣や銅矛(青銅でできた槍)、 銅鐸(青銅でできたの鐘)が発見された遺跡である。この発見は、出雲のみならず 日本の古代史を書き換える大きな発見だった。




遺跡では発掘当時の状況が復元されている。もちろん出土品はレプリカで 雨に流されないよう特殊な処理がされている。左には銅剣、右には銅矛と銅鐸がある。 写真をクリックすると大きな写真にジャンプするのでそれを見るとよくわかる。

だが、なぜ古代人はこれだけたくさんの青銅器を1ヶ所に埋めたのだろうか。それは今も謎である。

尚、荒神谷遺跡は少々交通の便が悪く、バスで行くことはできない。荘原駅からタクシーで行く以外には、歩くしかないようだ。(駅から約5kmだから歩くと1時間強)


遺跡からの帰りで、出雲市駅で出くわした列車たち



臨時列車「湯めぐり山陰」号



キハ126の並び


キハ47も健在


この日の午後、コロフェスタの本番。何のトラブルもなく歌えた。





コロフェスタが無事終わり、松江に向かう。はじめはバス+JRで行く予定だったが、 一畑電鉄だとより乗換えが楽だということが分かり一畑電鉄を使うことにした。写真は、出雲大社前駅で発車待機中の電車。

出雲大社前駅駅舎は独特な雰囲気で、長い間使われていることで有名らしい。


真っ暗な出雲大社前駅を発車し、電車は加速する。震度で言えば6,7ぐらい、立っていられないぐらい揺れる!! 線路に問題があるのか、車両が古いのか、とにかくすごい揺れ!


20分ぐらいで川跡(かわと)に着き、松江方面の列車に乗り換えだが、電車を降りて松江方面のホームに行くとすぐに松江行きの電車が来た。うまいダイヤである。

川跡からはさっきのような激しい揺れはなくなった。ただ外は真っ暗で何も見えなかった。宍道湖がきれいだろうから、次来たときはは昼に乗りたい。

終点の松江しんじ湖温泉駅に着き、ホテルに向かう途中、雨が降り始めた。明日は大丈夫だろうかと心配になった。





13日月曜日、帰宅する日。奥出雲おろち号は8時50分発なので、それに合わせて朝8時にホテルを出た。残念ながら曇っていて、少し雨が降っていた。

駅に着き、ホームに上がった。しばらくすると奥出雲おろち号が入選してきた。ディーゼル機関車+客車2両で、今朝の雨で1号車(窓がないオープンカー)の 座席がぬれていた。幸いタオルを持ってきていたので、問題なかった。



松江駅の奥出雲おろち号(出雲市方向)



備後落合方向・今回の先頭。もともと客車だったが、折り返し時の手間を省くため運転室がある。


発車5分前だが、乗車率は30%ほど。本当に満席なのだろうか?天気が悪いから、キャンセル?

待ちに待ったトロッコ列車。8時49分、定刻通り発車。発車するとすぐに、60km/sぐらいまで加速した。窓がなく風がビュービュー入ってきて冷たい。晴れていれば心地よかっただろうに・・・・・・


奥出雲おろち号時刻表(主要駅のみ)

----発時刻備考
松江8:49-----
玉造温泉8:57-----
宍道9:09ここから木次線
加茂中9:27-----
出雲大東9:38------
木次9:56木次線の中心
出雲八代10:25-------
亀嵩10:42有名なそば屋あり
出雲横田10:56ここから列車少ない
八川11:03八川そばあり
出雲坂根11:20詳しくは下
三井野原11:43次の油木から広島県
出雲坂根12:08芸備線と合流



宍道まで行ったところで、風と雨が激しくなってきた!寒い、寒い!ほとんどの客は隣の普通客車に退避してしまった。残ったのは自分を含め3人のみ。


余談だが、車内放送によると本当はトロッコ列車としての運行は木次からだが、シーズンということで松江まで来ているらしい。



この写真では分かりにくいが、大荒れであった。(玉造温泉付近)


幸い、冷たい雨も宍道に着くころには止んだ。しかし、普通客車に逃げた客は戻ってこなかった。



宍道から木次線に入る。やや左の枯草に覆われた線路が木次線


木次線はローカルな雰囲気いっぱいでいい感じだ。

曇っていたが、雨は上がっていた。紅葉する前の少々色づいた木々が目の前を横切った。車内放送によれば、あと1週間ほどで完全に色付くという。

宍道から40分ほどで木次に着いた。ここでたくさんの客が乗り、満席になった。なるほど、そういうことだったのか。松江から乗り通す人はあまりいないらしく、木次からの客がほとんどらしい。





亀嵩(かめだけ)に着くなり、皆そば売りに群がった。



出雲横田を過ぎ、山は深くなる。


11時20分、とうとう出雲坂根。ここから標高差300mをわずか数キロで上らなくてはならない。そのため駅がスイッチバックになっている。

おっと、その前にホームにある延命水を汲もう・・・ところがこんな車内放送が。

本日は水質検査のため採水できません。

残念・・・


スイッチバックの説明をしよう。



スイッチバックとは、上の図のようにジグザグに進むことで標高を稼ぐ線路の敷き方。標高が低い方から来た列車がA駅(出雲坂根駅)に到着した後 バックでBの「折り返し」まで走り、そこから再び進行方向を変えて進む。

「33/1000の勾配」というのは、1km進むごとに33m登る坂のこと。1m進むと3.3cm登ると考えても同じ。四輪車にとっては大した坂でないが、鉄道にとっては厳しい坂だ。







出雲坂根駅を発車。今から33‰(パーミル・説明は上)を登る。写真を見てわかると思うが、右側の線路がすごい勾配である。 ここからは景色がよく見えるように徐行になる。

20km/hぐらいで200メートル上ったところで折り返し点。ここで元の向きに戻り、備後落合を目指す。



スイッチバック折り返し地点



出雲坂根駅から三井野原駅の略地図

鉄道はスイッチバックをしてさらに大きく迂回し、高度を稼いでいる。一方国道は後述のおろちループで高度を稼いでいる。



あんなに下に駅が・・・・・もうこんなに登ったのか・・・


折り返し地点からさらに、15km/hで進む。勾配は33‰のまま。ズンズン登る。

車掌によれば、さらに数キロ行った所にある三井野原駅付近がJR西日本最高地点だという。



目の前に突然現れたおろちループ。1982年着工、1992年完成。この列車の名にもなっている「おろち」(大蛇)のようだ。見事な眺めである。 しかし、木次線にとっては不気味な存在である。


列車はさらに登り、三井野原駅に着いた。前述のように三井野原駅はJR西日本最高地点であり、標高約730m。駅前にはスキー場があった。 かつては冬ににそこへの臨時列車が運転されていたそうだ。


列車は備後落合に12時8分に着き、12時48分発三次行きの普通列車に乗換え。そんなことを考えていると、列車放送が。

「三次・広島方面普通列車三次行きは14時1分2番乗り場からです。」


おい、待て。もう一回。

「三次・広島方面普通列車三次行きは14時1分2番乗り場からです。」


どうやら、数日前のダイヤ改正で備後落合発12時45分の列車はなくなってしまったらしい。

帰りが遅くなってしまう・・・・・しかも新幹線は「のぞみ」の指定席なのに・・・

騒いでも仕方がない。備後落合に着き、待つことにした。



備後落合駅の奥出雲おろち号。ここでフィルムが切れる。したがってここから写真なし


昼飯を探しに駅を出る。ところが、駅前には何もない!数件の家のみ。あああ・・・・腹減った・・・・


備後落合駅は芸備線と木次線が合流する駅にもかかわらず無人で駅前には商店も無く静かな駅だ。


面白いもの発見。駅ノート。それによると、結構多くの人がおろち号で来ているみたいだった。今日と同じく水質検査で採水できなかった人もいた。 また、駅寝には最適であることも書いてあった。なるほど・・・・・・・

もちろん俺も書いた。なんて書いたか・・・・それは実際に現地にいってから!


駅ノートを読んでから、駅構内を歩いた。分岐駅らしく、広い。使われていない線路がいくつかあった。




備後落合駅構内に落ちていた犬釘


そして2時になり、列車が来た。三次に着いて我を忘れて飯を食い、広島で乗り継ぎ、新大阪からサンダーバードで金沢に戻った。 最後に、今回の旅行で手に入れたグッズを紹介しよう。





出雲大社



出雲大社前駅入場駅



車内で配られた記念乗車証



記念乗車証の裏



車内で買ったオレカ



乗車記念スタンプ



最後の1枚だったおろち号の切符


今回の旅行は出雲の神々に助けられた。ちょうど現地が「神有月」だったからだろう。今度は夏の来よう。


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