信州の旅・・・スイッチバック


2002年8月21日

今回の目的はスイッチバック。数多くのスイッチバックが廃止になった今、長野県のスイッチバックは貴重な存在。


日程

※すべて鈍行
5時45分 金沢発421M 富山乗換え527M 糸魚川着7時58分
大糸線乗り換え 糸魚川発南小谷行426D 糸魚川発8時20分 南小谷着9時17分
  南小谷乗り換え 南小谷発松本行338M 南小谷発9時34分 松本着11時32分
篠ノ井線乗り換え 松本発長野行433M 松本発11時43分 長野着12時51分
信越線乗り換え 長野発直江津行451M 長野発13時21分 直江津着15時3分
北陸線乗り換え 直江津発富山行564M 直江津発富山行 直江津発15時44分
富山乗換え 金沢着18時30分


 朝4時ごろ家を出た。バスは走っていないのでチャリで駅に行った。いつもは車でいっぱいの大通りもさすがに朝の4時となるとガラガラ。車道を30キロ近くで飛ばせて走れて気持ちがよかった。

 5時前に駅につき、早めにホームに行った。時計を見ればあと発車まで40分以上ある。それどころか、まだ入線すらしていない。ボケーっとしながら待っていた。そしてやっと列車が入線、しばらくして発車。

 糸魚川までは半分眠っていた。

 糸魚川の手前で乗り換えアナウンスとともに思いがけない案内があった。

「大糸線小滝と平岩の間が、多雨のため運転見合わせとなっており、小滝からはバスによる代行運転となります。詳しくは糸魚川駅までお問い合わせください。」


仕方がないことだ。自然の猛威に人間が勝てるわけがない。と思いつつ糸魚川着。



大糸線 糸魚川〜南小谷間用キハ52
手前には「大糸線の列車にはトイレがありません」の案内 JR西のローカル線に多い



大糸線専用のキハ52

 大糸線のキハ52は古いせいか勾配がないところでもグイーーーーンとエンジンをうならせ、大して加速しないうちに惰行となる。そのため、速度はせいぜい45キロぐらいしか出ない。また、窓の隙間からはエンジンからの排気ガスが入ってくる。これも鈍行の旅の醍醐味。シャーーッと新幹線のように加速してしまってはおもしろくない。

途中、姫川を何度か渡った。





 見てのとおり荒れている。濁流だ。これなら小滝、平岩間が運休になっても仕方がない。実はその区間は数年前にも大雨にやられている。
 長野五輪の数年前、大雨でその区間のレールが数ヵ所で流された。特に小滝と平岩の間は被害が大きく、数箇所で鉄橋が流されたりした。それ以後、復旧工事をしたもののはかどらず相当長期間小滝から先はバス代行になっていた。だが、五輪関係者等の強い願いにより工事は続けられ、何とか五輪前には復旧したらしい。

 姫川という名前の由来は昔から何度も氾濫したので付近の住人たちが姫のように落ち着いてほしいという願いからそうついたのであろうか。



南小谷駅 駅舎の前の白と緑のバスは乗ってきた代行バス



運休中の平岩方向を望む



これから乗る松本行きの普通列車 去年かおととし製造の新車



数年後には大きく変わる南小谷駅


 南小谷からはE127系電車。去年かおととし製造された新車だ。だが、思ったよりスペードは出ない。キハ52のように35キロぐらいしか出ていない。カーブや勾配がきついからだ。

 白馬あたりからはスキー場や青い山々が見えてきていい感じだった。筆者は一度車でここに行っているが、何度見ても飽きない。また、そのあたりからスピードが出るようになった。

 乗車中面白いことを発見した。E127は南小谷までしか行かないが、運賃表には糸魚川まであったのだ。糸魚川、南小谷間の電化を見込んで作ってあるのだろうが、数ヶ月前のダイヤ改正で越美北線や城端線などで駅無人化・本数削減等の合理化を行い、1〜2時間に1本あった列車が激減し、3〜4時間に1本になってしまった。

つまり、それだけ利用客が少ないのであろう。電化は当分お預けである。


 最初は乗車率が4割ぐらいだったが信濃大町からはどっと増えてラッシュ時ぐらいになった。高校生が多かった。



松本駅


 さあ、松本からがおいしい。スイッチバック街道の篠ノ井線だ。篠ノ井線には松本方向から羽尾信号所・姨捨駅・桑ノ原信号所の3連続スイッチバックがある。そのうち羽尾信号所と桑ノ原信号所は駅ではないので停車列車は少ないが、3連続でスイッチバックが残るところはここだけだ。

 奥羽本線の福島、山形間の板谷峠越えに赤岩・板谷・峠・大沢の4連続スイッチバックがあったがそれに匹敵する。(その4連続スイッチバックは山形新幹線開業と同時に消滅)

 篠ノ井線は田沢、明科間を除いて単線だが、聖高原までは複線用地があった。需要が十分にあるので複線化は可能だろう。



聖高原で名古屋行き特急しなのと行き違い


25ミリパールの勾配(40分の1の坂)の上りきり、頂上の冠着トンネルを過ぎた。下り勾配に変わる。ここからがスイッチバック街道だ!カメラを持ち、窓を凝視する。



まず最初は羽尾信号所。ラッキーなことに、1日に何本も入らない貨物列車が待っていた!
貨物列車はEF64が先頭で、川崎貨物からしなの鉄道坂城まで石油を運んだ帰りだ。




次は姨捨駅 左側の線路に入ろうとしている


姨捨駅からの景色は「日本の3大車窓」の1つに数えられている。下の写真がそれ。いい眺めだ。長野盆地が一望できる。





日本の3大車窓の1つ 姨捨駅から あとの2つは肥薩線大畑、真幸間と根室本線旧線・通称狩勝線新得、落合間(現在は新線に切り替わり、廃止) ここからはしなの鉄道や長野を含む7駅が見られるそうだが、この写真はおろか大きな写真からも1つも見えない。

そして次は桑ノ原信号所 ここもラッキーなことに普通列車が待っていた。この日は運がいい!なにしろ1日数本の列車しか使わない信号所で2ヵ所とも列車を見ることができたのだから。



松本行き各駅停車が待つ桑ノ原信号所を通過!


松本発車から1時後、長野着。結構洒落たつくりの駅だった。ここで駅そばを食う。うまかった。



これから乗る長野発直江津行きの普通列車

 長野から直江津までの信越線もスイッチバックがある。ところで長野駅を出るときに長野運転所を通りかかったが、新幹線開業などにより特急の定期運用を失った189系が何編成もゴロゴロしていた。廃車も時間の問題だろうか。また、北陸新幹線が開業すると金沢でも681系や485系が同じ光景をさらすことになるのだろうか。

 信越線は妙高高原までは複線、そこから先は単線だった。篠ノ井線と同じく、複線用地が確保してあった。だが複線化は難しいだろう。1時間に1本もない普通列車と1日2〜3本のみの新潟行き特急みのりしかなく、需要が見込めないからだ。


まずは関山スイッチバック。ここは1985年にスイッチバックが廃止されたが、除雪車の停車などのために信号などの
設備は残っていて、いつでも使える状態にある。右方向への線路が本線、左方向への線路が旧駅に通じる


そして次が割と規模が大きく、しかも生きている二本木スイッチバックだ。



右側に曲がっていく線路が本線 今や通過する定期列車は無い。



駅に着いたところ。上の写真と逆方向この駅は25ミリパール(40分の1)の勾配上にある。
それぐらいの勾配上のスイッチバックは最近の電車は性能がいいので解消可能だが、
二本木は貨物駅でもあるので解消されなかった。

 ちなみに、貨車の積荷は日曹の二本木工場が生産したカセイソーダだ。カセイソーダとは水酸化ナトリウムのこと。工業用には重要で、毒物、劇薬だ。



この写真では分かりにくいが、直江津方向から反対列車がきて、スイッチバックの引込み線に入った。
大きな写真で見れば分かる。また、大きな写真で分かることもう1つ。25ミリパールの勾配は
かなり急だ。1番奥の線路でわかる。




直江津駅のほくほく線各駅停車

その後直江津についた。直江津は信越線と北陸線が接する節目の駅にもかかわらず草ぼうぼうで、静かな駅だった。あとは金沢に帰るのみ。


END


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