人力での限界・・・輪島へ!


2012年9月23日&24日


 2012年9月、おれは名古屋に2週間滞在することになった。2つの学会が名古屋で開催されたからだ。2週間ずっと名古屋に滞在し続けるのは飽きる上、宿泊費がもったいないので、週末は金沢で滞在することにした。

 9月14日金曜の夕方名古屋を出て、晩に金沢に着いた。その翌々日の日曜の午後、久々に同郷のM氏と会って話をした。街中のメイドカフェに行き、近況を話しているうちに、久々に自転車で能登半島に行かないかという話をした。M氏は有給をとってでも行きたいと言った。おれも、思い切り自転車をこいて能登に行きたかった。行先は今までのような和倉温泉ではなく、思い切って輪島にしようと言った。これまでの実績上、和倉は半日で余裕を持ってたどり着く。次に目指すのは、輪島しかない!そう思った。

 しかし、自転車で輪島へ行くのは厳しいだろうと思った。まず、金沢からの距離だ。和倉は70kmだが、輪島は120km。倍近くある。それだけではない。厳しい山越えがあるのだ。七尾や和倉までなら道はおおよそ平坦で、長くて急な上り坂はない。しかし、七尾から先、特に穴水と輪島の間の山道は長い上りが続き、きついだろうと思った。かつて車で家族と輪島に行ったとき、あるいは、のと鉄道で行ったときを思い出すと、穴水から輪島の20kmの道が一番厳しいと思えた。しかも、120kmの道中のうち最後の20kmである。我々は自転車で山を越え、輪島にたどり着けるだろうか?やや不安があった。

 行きだけでなく、帰りも心配だ。行きに通った道を通れば金沢にたどり着くが、道路の状態によっては別な道を選んだほうがよい可能性がある。自転車でトンネル内の坂道を登るのは、トンネル内の空気の悪さや安全上避けたい。また、長い上り坂は避け、多少急でも短い距離で坂を登り切る方が楽だ。そのため、輪島へ向かう途中、所要時間だけでなく道路状態、地形も見ておいて、帰りのルートを行きと変えるべきかの判断材料も集めておくことにした。

 我々は夜の金沢の街で遊び、帰りに犀川の芝生で寝転んで夜空を見渡した。まだ日中は暑かったが、夜は涼しかった。雲の間から見える星が美しかった。来週は、何としても金沢と輪島の往復を成功させようと思った。





 翌日17日の月曜日に、学会のため名古屋に戻った。学会が終わりホテルに着き、輪島のどこの宿がよいかを検討した。おれが輪島の満月という宿を提案していたので、M氏も満月でよいと言っていた。宿泊は23日日曜から24日月曜。24日は平日なので研究室に行くべきだが、おれも有給のような扱いで休みにすることにした。22日からの宿泊としなかったのは、宿や道が混雑するからだ。今までの自転車の旅も、土日をまたぐスケジュールを避けてきた。宿を無事確保し、M氏に知らせた。あとは当日の天候がよいことを祈るだけだ。17日時点では、23、24日の加賀、能登はともに曇りか晴れだった。

 21日金曜日の晩、金沢に戻った。先週とまったく同じ列車で戻ったのだが、日が暮れる時間がまったく違っていた。前回は米原過ぎまで明るかったが、今回は岐阜の時点で真っ暗。翌日、M氏と旅の道具の買い出しに行った。かっぱ、自転車用空気入れ、エネルギー補給用チョコ、点滅式赤色灯など。天気予報では23日が曇り時々雨、その翌日が曇り時々晴れだった。やや天候が悪くなりそうだが、土砂降りになることはないと思い、多少の雨ならカッパを着て突き進もうと思った。買い物の後、犀川を下って日本海を見に行った。翌日からの長い旅の準備にと、かなりのスピードで走った。浜に着いて間もなく、日が沈む瞬間を見ることができた。




日本海に沈む夕日


 そして23日朝。6時に出発しようと思っていたが、思ったより雨が激しく、6時半出発になってしまった。しかも、6時半でもぽつぽつしとしと雨が降っていた。おれは自転車で行くのは無理かもしれない、行けても途中羽咋か七尾までかと思ったが、M氏は自転車で乗りとおすつもりだった。予定よりやや遅れ、金沢を出た。(7時ちょうど武蔵交差点通過)

 金沢から七尾、和倉まではこれまでの自転車旅行と同じルートをたどるつもりで走った。風はあまりなく雨が少々振る程度だったので、スピードを出しやすかった。例年と同じぐらいのペースで、国道159号線を通り石川県を北上した。

 いつもより楽にこげる気がした。宝達志水町に入ると必ずペースが落ちたが、今回はそれほどでもなかった。しばらく長距離サイクリングをしていないのに、不思議だった。

 良川駅付近、あと10kmで七尾というところで突然激しい雨が降り出した。運よくショッピングモールや大型店が並んでいるところを走っていたので、電気屋の軒下にかけこんだ。(10時30分)ゲリラ豪雨とまではいかないが、見通し距離が落ちて運転に支障が出るほどの雨だった。出発前に見た雨雲のレーダーによると、能登半島の西側に強い雨をふらす雲がいた。こいつだったかもしれない。まさかここで足止めか?頼むから止んでくれ…と思っていたら、20分ほどでやんだ。輪島に向けて走り出した。

 間もなく、「県道18号 田鶴浜行」という標識を見かけた。この道を通れば七尾や和倉温泉を通らず、若干ショートカットを見込める。我々はこの道を走ってみることにした。地形的には、急坂はないはずだ。

 この県道18号が思ったよりよかった!ほとんど平坦であまり車が来ないうえ、景色がいい!道の周囲は水田、少し先は低い山。七尾の近くにこんな風景もあるものかと、感心した。和倉より北に行く場合は、この道を積極的に使ってよいだろう。気がつけば、頭上に雨雲はなかった。もうかっぱはいらないだろうと、自転車のかごに押し込んだ。予報では天気はだんだんよくなるので、もう雨の心配はないだろう。

 20分ほど県道18号を走ると海沿いの道に出た。この道が国道249号で、輪島へと至る道だ。この国道に合流して間もなく田鶴浜に着いた。ついに、自転車で和倉より北を走る日が来た。この時点でもう12時を回っており、我々はおなかがすいていた。能登名物のみそまんじゅう竹内の本店へ行き、腹を少し満たしてから出発。M氏によれば、みそまんじゅう竹内は奥能登の各地に店があるらしい。

 田鶴浜からは七尾湾にそった道となり、またのと鉄道の線路も並走する。我々は気持ちよくなり、「能登半島万歳!!」と叫んだ。10分走るごとに七尾まででは見られなかったやや急な坂道があった。自転車を降りて押すほど急でなく、数100m走れば下りに転じるので、割合サイクリングに向いた道だと思った。

 道の駅「なかじまロマン峠」を過ぎ、(その名の通り、旧中島町の手前の峠の頂上にある道の駅)和食屋に入った。(13時ちょうど)ここで本格的に昼飯とすることにした。M氏によると、ここのウナギはうまいらしい。だが、ウナギは売り切れていた。おれは刺身定食を食べたが、1000円以下で結構な量の刺身が出てきた。しかも、うまい!奥能登は食べ物がうまいうえ、安いのだ!

 1時間ほどたち、出発。もう少しでアニメ「花咲くいろは」の聖地、西岸駅だ。このアニメの舞台となる温泉宿の最寄り駅が「湯の鷺駅」となっており、西岸駅がモデルになっている。おそらく、駅はアニメ関連の装飾がなされているだろう。(余談だが、和倉温泉や山中温泉は別名シラサギの湯と呼ばれており、そこから湯の鷺という駅名がつけられたのだと思われる)




西岸駅




「湯の鷺」の駅名板


 案の定、駅の一部は花咲くいろはで埋め尽くされていた。待合室にはポスターが何枚も張られ、関連グッズや駅ノートもありとてもにぎやかになっていた。もっと驚いたのは、駅名板だ。ホームの駅名板が「西岸」ではなく「湯の鷺」になっていた。これでは、初めて西岸駅に来た人が驚いてしまうだろう。しばらく待っていると穴水行き列車が来たが、降りたのは地元の人だけだった。この日は日曜日なので花咲くいろは目当てで駅に来る人がもっといると思っていたが、我々以外には車で来たと思われる一人だけだった。

 そして西岸駅を後にした。線路と並んだ国道を走り、能登桜駅と呼ばれる能登鹿島駅を通過し、やや険しい峠を越えた。トンネルを抜けて長い下り坂を走ると、そこは穴水の市街地。金沢から100kmジャスト、ついにここまで来た。(16時ちょうど)

 穴水に入ってすぐのコンビニで、最後の食糧補給と休憩。ここから執着輪島までの20kmの山道に、おそらくコンビニはない。今十分に補給できなければ、山の中でエネルギー切れである。おれはチョコを1袋買い、1/3ほどを一気に食べた。チョコは一気に吸収され、すぐにエネルギーになっていくのを感じた。今まで何度も能登半島へのサイクリングをやったが、これほど体がエネルギーを欲したのは初めてだ。天気は曇り。雨が降ってもおかしくない空だった。加えて、あと2時間ほどで日没。もたもたしていると、山道で日が暮れて真っ暗である。雨と日没、両者との戦いとなることだろう。



 そして穴水を出発。市街地を抜けるとすぐに山となり、坂道となった。市街地を出て5分ぐらいはやや急な坂道だった。この程度の道が何kmも続くようであれば、自転車をこいで登ることはできないだろう。もし体が厳しいときは遠慮なく自転車を降りようと決めていた。1個目のトンネルをぬけてカーブを走り切ったところで、長い坂道が目の前に立ちはだかった。さすがに、これの道を自転車で登りきることはできないと見えた。我々は自転車を降り、押して登った。この道はかつて家族旅行で通った覚えがあった。たしか登りきったところが高原のようになっているはずだ。そこまで登れば、またこげるはずだ。

 我々はいろいろと話しながら長い坂を登った。話しているとそれほど疲れを感じずにすむ。なんとしても、人力で輪島に到達することを考えていた。空はやや雲が多く、日差しが強くないのが救いだった。




往時最後の難関、穴水からの峠越え


 10分ほど自転車を押し続け、上り坂が終わった。記憶の通り、高原のようになっていた。ここからすこし飛ばそう、と思ったが、足が動かない。ペダルが回らない。疲労がたまりにたまっていたのだろう。

 高原をしばらく進むと、下り坂に転じた。そして分かれ道。片方は上り坂で、こちらが輪島方向への道だ。M氏によれば、実質最後の登りだという。ここを登れば楽になる!と思いながら、再び自転車を降りて押した。

 こちらの坂はそれほど長くなかった。頂上を過ぎ、下り坂。今回は長い。重力にまかせ、思いきり加速した。久々に時速20km以上出た!しばらく足を休ませることができる!しかし、突然やや激しい雨が降ってきた。日没を前に気温が低くなっている上に、スピードが出て冷風がふきつけており、半袖の我々は雨の冷たさに悲鳴を上げながら坂を下って行った。

 幸い雨はすぐに上がった。坂が終わったところで三井という集落に出た。ここはかつて能登三井駅があったところだ。駅跡を見に行ってみたころ、駅舎とホームは残っていたが、線路は完全になくなっていた。加えて、駅の先のかつての線路跡には家が建っていた。2001年に廃止になってから10年以上もたてば、こうなるのも仕方がない。駅舎が残っているだけ、恵まれているだろう。




能登三井駅


 三井は穴水よりずっと寒かった。先ほどの雨がなくても、間違いなく寒い。三井は能登半島の山の中にあり、おそらく標高100m以上、ひょっとしたら200m近くあるのだろう。能登半島の中でもこれほど気温に差があるとは思ってもいなかった。三井を過ぎると、徐々に下り坂。軽く国道を走っていく。途中トンネルを何本か抜け、川を渡った。輪島までは10kmを切っているはずだ。

 長い直線道路を走りぬけると、輪島まであと4kmという看板が出現した。ついに、ついに、我々は輪島の手前まできた!もうここまで来れば、リタイアはないだろう!

 そして、行く手の先に町が見えてきた!輪島だ!念願の輪島だ!4年、5年前に夢見たところについに、自転車のみでやってきた!我々は興奮気味に自転車をこぎ、市街地へ向かった。不思議と、足の疲れは感じなかった。ラストスパートというやつか?

 喜びを爆発させた我々はまず、輪島の道の駅へと向かった。道の駅はかつての輪島駅で、おれは2001年にのと鉄道が廃止になるときに行って以来だ。輪島はどう変わったのか、とても気になった。

 道の駅は瓦屋根で、ずいぶんと重厚な建物だった。中には土産屋、バス停、かつての輪島駅のモニュメントなどがあった。日曜の夕方とだけあって、観光客はほとんどいなかった。(道の駅到着17時30分)この日泊まる宿、満月は道の駅のすぐ近くだった。大きな看板が高々と掲げられ、すぐに場所がわかった。




道の駅輪島(翌朝撮影)





輪島駅のモニュメント





今回泊まった宿、「満月」(翌朝撮影)


 金沢の武蔵交差点を朝7時に出て、輪島に着いたのが17時30分。休憩時間を入れて、10時間30分かかったことになる。走行距離はほぼ120kmだから、平均時速は11.4km。途中の足止めや長めの休憩があったことを考えれば平均時速はこんなもんだろう。走行時間は実質8時間ぐらいだと思えば、走行平均時速は14kmぐらいになる。これも走行時間の長さや途中坂道で押したことを考えれば、悪くない値だ。なんとか暗くならないうちに輪島につけたのがうれしい。1日120kmは普通の自転車で走れる限界かもしれない。もし逆風が吹いたりもっと天候が悪ければ、到達できない恐れもあるだろう。70kmの和倉温泉とは全く違う旅だと思った。

 この日泊まる部屋に荷物を置いて宿の温泉に行った。疲れ切った全身を湯に沈めると、今日一日見た景色が頭に浮かんできた。

 温泉を出て、晩飯。能登半島でとれた海藻、刺身、すべて地元のもの。食器はすべて輪島塗。我々は腹がすきすぎていて、すごい勢いで食べた。これが本当の能登の幸。能登づくしの食事ははじめてだった。かなりの量だったが、ひたすら夢中で食べ続けた。いしる(能登半島特産の魚しょう)の鍋が特にうまかった。

 食べ終わった後、道の駅へ五陣乗太鼓を見に行った。五陣乗太鼓は鬼の面をした人が太鼓をたたくという話は聞いていたが、実物を見たことはなかった。能登半島を征服しようとした上杉謙信を追い払うためにやったのだそうだから、当時の人は死ぬ気でやったかもしれない。きっと、かなり迫力があるものだろうと思っていた。予想通り、いや、予想以上に激しかった。鬼の面、ひょっとこの面をつけた人が何人も出てきて、太鼓を激しく連打した。あれだけ迫力があれば上杉謙信は征服を諦めるほかなかっただろう。




鬼、ひょっとこ、いろいろ出てきた五陣乗太鼓


 宿に戻って、ふと能登半島の地図を見つけた。M氏と明日の帰りはどこを通るかを確認した。帰りは国道249号を門前方向に行くのだが、門前へ行く途中に長いトンネルがあることに気づいた。ここを安全に抜けられるかが気になった。門前から金沢はM氏が何度も走っているから、気がかりなことはなかった。

 そしてこのあと、すぐに寝た。2人とも疲れに疲れてもう動けなかった。





 翌日、朝飯を食べて宿を7時半に出た。あれだけうまい能登の食べ物が出て、宿代はすべて合わせて8500円とはずいぶんと得だと思った。輪島の市街地を通り、朝市の見物に行った。前日から気づいていたが、輪島の市街地は道も建物もきれいになっていた。だが、朝市の雰囲気は変わっていなかった。海産物をはじめ、野菜、漆器などが売っていた。朝8時前だったが、大勢の人でにぎわっていた。

 輪島出発は8時半。金沢から輪島へは10時間近くかかったので、早めに出なければならない。なぜなら、この日の夜9時半発の仙台行バスに乗らなければいけないからだ。乗り遅れれば仙台に帰れなくなる。

 輪島を出て、勢いよくこぎ始めた。道の周りは水田、少し離れた所に川、家、もっと先は山。金沢の湯涌に似た風景が能登半島にもあった。いい風景に見とれつつ、快調に飛ばす。温泉パワーのおかげか、全身の疲れや痛みはなかった。平野は少しずつ狭くなり、目の前に山が迫ってきた。そして帰路の1回目の峠越えが近付いてきた。勾配も徐々に急になり、ついにこいで登れなくなった。これから一日中走り続けるので、無理は禁物。自転車を押すことにした。気温はほぼ20度だったが、汗がかなり出てきた。かなり激しく体を動かしたらしい。日陰に入ればとても涼しかった。




輪島から門前へ行く途中の峠道


 峠道はほとんど車が来なかった。虫の声しかしない、静かなところだった。そしてカーブを曲がりきったところで下りに転じ、トンネルが現れた。これが、昨日の晩地図で見つけた長いトンネルだ。中屋トンネルというトンネルだった。(峠の名前も中屋峠)割と広い歩道があったので、下り坂にまかせて一気に加速した。

 やはり長いトンネルだった。1.2kmはあったらしい。車が来なくて、トンネル内の空気が汚くなかったのが幸いだった。このトンネルは門前方向からくぐると上り坂になるので、輪島側からくぐると良さそうだとわかった。

 トンネルを抜けてから10分ほど、時速20km超え、おそらく30km近くのスピードで飛ばし続けた。トンネルの手前まで登った分、下りも長かった。そして旧門前町(今は輪島市の一部)の市街地が見えてきた。1つ目の峠は越えた。輪島から門前はちょうど20kmで、1時間で到達した。峠越えのとき押して歩いたことがあったにもかかわらず、平均時速は20km。ということは、相当下り坂で飛ばしていたということだ。30kmは間違いなく出ていた。

 総持寺の近くを通り、M氏が知っている湧水があるところで休憩。国道のわきにあるので、比較的有名らしい。M氏が言っていたとおり、とても冷たかった。峠越えで熱くなった顔を冷やした、M氏の実家は総持寺や門前町の旧役場の近くではなく、もう少し先らしい。

 休憩後、15kmぐらいのペースで走り始めた。下り坂でないところで飛ばすのは体力の消耗になるので、無理は禁物。今まで内陸を走っていたが、海が見えてきた。海が見えたところで国道をはずれ、細い道に入った。細い道の先は古くからの住宅地に続いていた。古くというのは、戦国時代あるいは江戸時代。かつて海上交通が盛んだったころ、門前の近くは港があり、にぎわった。船の主の屋敷もあったらしい。この黒島地区は歴史的町並み保存地区となっており、今でも江戸時代の雰囲気がある。M氏の実家はこの黒島地区にあった。あいにく、実家は留守だった。




黒島地区の風景


 黒島を見物して、しばらく海沿いを走りつづけた。能登半島の内浦を自転車で走ったのは、昨日が初めて。外浦は今日が初めて。やはり景色が違う。外浦はごつごつした岩が多く、荒々しい。地形も険しく、トンネルが多い。




奇妙な岩を貫くトンネル


 道の駅「赤神」を過ぎ、自転車を止めて道路を下り、磯に降りた。磯は海水がひたる程度で、干潟のような印象だった。このあたりではタコや魚が見られるとM氏。岩場なので見つけやすいのだとか。この日は小さな魚を多数見かけた。サザエもいるらしい。天候はよく、海とともに青空がずっと先まで続いていた。

 少し進むとビーチがあり、そこにM氏秘密の湧水があるらしい。ビーチの近くの洞窟に、とても冷たい水が湧き出ていた。能登半島にしみ込んだ水が、長い時間をかけて出てきたようだった。うまい水だった。なるべくほかの人には知られずにいてほしい。




洞窟の湧水


 ビーチの次は夫婦岩や、やや厳しい峠があった。峠はすぐに終わり、国道と県道の分岐点。このまま国道を進むとかなり険しい道になるとM氏。国道は内陸の険しい地形を貫いているので、無理もない。海沿いの県道を走ることにした。




夫婦岩


 2車線分あるかないかの道だったが、関野鼻、ヤセの断崖など、変わった地形が楽しめた。車の通りも少なく、多少アップダウンはあれどおもしろい道だと思った。M氏は、国道よりずっといい道だと言った。

 いつまでも海沿いを進み続けるのではなく、いずれは国道に合流しなければならない。国道は内陸なので、どこかでまた山越えがある。その山越えは、富来町の手前だった。気があまりない高原の道をどんどん登り、登りきったところでかなり急な下り坂になった。この道も、逆側からだとるとかなりきついだろう。

   12時頃、富来町に着いた。輪島から3時間半。帰り道の1/3を消化したところだ。七尾からなら、もう金沢についているころだ。ここで昼飯を食べ、土産を調達した。

 富来の先にも峠がある。原発の町、志賀町との間の峠だ。ここもやや長く険しく、トンネルがあった。M氏によればこの峠を越えれば、もう厳しい上り坂はないらしい。奥能登では隣町に行くたびに峠を越えなければならないのだ。峠を下った三明からサイクリングロードに入った。北陸鉄道の能登線(羽咋→高浜→三明)の廃線跡を転用した道路なので、この道をたどれば羽咋にたどりつける。峠で上った分、しばらくずっと下り坂で、20kmぐらいのペースで快調に飛ばした。

 もう夏から秋になろうとしていた。セミの声は全く聞こえず、虫の声が多かった。このときの暑さは夏の暑さではなく、体を動かしたときの暑さだった。

 気多大社を過ぎ、海沿いの国道を走り続け、羽咋通過は15時過ぎ。そういえば、羽咋も自転車で来たことはなかった。思ったより大きな町だった。このまま国道を南下してもいいが、砂丘由来と思われるアップダウンが激しく、体には厳しい。やや内陸に進み、国道159に乗り換えた。これで来た道と同じだ。アップダウンは最小限に抑えられる。

 毎度おなじみの宿東で休憩した後、あとは金沢をめざす。この道を走るのは何度目だろうか。気がつけば、体の疲労がかなりのものになっていた。M氏もかなり厳しそうだった。

 宇ノ気を過ぎ、津幡へ向かう途中異変が起こった。急にふらふらしてきた。エネルギー切れのような感じがした。まずい、このままでは倒れる・・・休憩所ではないが道端で休むことにした。

 こんなことは今までの自転車の旅で一度もなかった。10分ほど休み、ふらふらした感じがなくなったので、出発。最寄りのコンビニで食糧、エネルギーを補給することにした。幸い、すぐ先にコンビニがあった。牛乳やM氏お勧めのゼリーなど、すぐにエネルギー補充できるものを買って食べた。行きも帰りも、チョコでエネルギー補給をしてきたがそれだけでは足りないらしい。M氏は休憩のたびにゼリーを食べていたので、エネルギー切れにならなかったのかもしれない。

 無事エネルギーを補給し、津幡を通過し、金沢の市街地に入った。片道120km、往復250km近いサイクリングもとうとう終わり。疲労はなぜかなくなり、さっき補充したエネルギーのおかげで結構なペースで飛ばした。日は沈み、暗くなっていた。自動車からの追突防止に、点滅するLEDを袋に入れ、ハンドルからつるしてドライバーから目立つようにした。これがなかなかいい風情があった。M氏によれば、ドライバーや通行人からの視線を感じたという。




点滅するLEDが入った袋


 そして武蔵の交差点通過。18時頃だったと思う。ついに我々は奥能登と金沢を自転車で往復したのだ!思いきりビールかけでもしたかったが、後始末が大変なので炭酸水を使うことにした。

 河川敷へ向かった。つい先週、輪島へ行こうと決めていろいろ話し合った河川敷だ。ここで我々は


能登半島、万歳!!!


と叫び、炭酸水を爆発させた!!


ついに250kmを走りきった!!しかも完全人力で!!


先週のように芝生に寝転がりたかったが、寒くなっていたのでやめておいた。1週間と比べ、すっかりに秋になっていたのだった。


 今回の旅で、学ぶことは多かった。まず、二人いなければ走りきることはできなかっただろう。おそらく、行きの穴水から輪島の間であきらめていた。それどころか、金沢の出発さえあきらめていた。励ましあったからこそ、走りきることができた。

 もうひとつ。いくら上り坂が厳しくても、目の前にトンネルが出現することはない。地形や道は変えられない。しかし、走りやすい道を選ぶことはできる。追い風になるのを狙って出発することはできる。どのみち、どこかで山を越えなければならない。超えるときは覚悟をもって、また無理をしないことだ。

 今回の旅で、「本物の旅」を味わったのだと思う。上り坂になればペダルは重くなり、下りに転じると勝手に加速する。峠という字はうまく作ってあると思った。鉄道や車、自転車がない時代も、人々は同じことを感じたのだろう。そして、山をいくつも越えると、人も食べ物も変わる。加賀と能登の違いや違いの移り変わりを、体をもって感じることができた。身体、精神を極限近くまで追い込むからこそ、走りきったときの感動が大きくなるのだ。

 ちなみに、仙台行きの高速バスには余裕で間に合った。バスの中で爆睡した。



最後に、この旅で走った道を示そう。




水色:往路 黄緑:帰路 青:ショートカットで通らなかった道



END


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