2年ぶりに自転車で和倉温泉へ


2009年9月24日&25日


 今年(2009年)の9月にはシルバーウィークという秋の連休ができた。19日土曜日から23日水曜日までが 休みになり、23日と24日が平日で26日と27日は週末による休み。23日と24日を休みにすれば19日から27日まで 1週間近い休みになる。そのため、思い切って23日と24日は研究室を休みにして、19日から27日まで1週間の 休暇とすることにした。8月は金沢に一度も帰っていなかったので、この機会を逃すと冬まで帰れないことになりそうだったからだ。

 19日朝、金沢を目指して仙台を出る。もちろん、飛行機や新幹線は使わない。全て各駅停車(快速も含む)だ。 仙台を朝8時に出れば、金沢は夜7時半に着く。12時間近い旅となる。経路は、 仙台 → 山形 → 米沢 → 坂町(ここで日本海側に出る) → 新潟 → 直江津 → 富山 → 金沢だ。 仙台と金沢を行き来するルートはいくつもあるが、このルートは最短のルートで、約550kmだ。東京と大阪を 東海道線で走ったときとほぼ同じだ。朝8時に仙台を出るプランは、各駅での待ち時間が30分以内で、しかも昼食 時間となる新潟での待ち時間が一番短いという見事な接続だ。反対に、各駅停車のみで金沢から仙台に行こうと すると最短でも15時間近くかかってしまう。どのようにプランを立てても、どこかの駅で1時間近く待たされる。 そのため、今年(2009年)の春に仙台に向かうときはやむなく金沢から直江津まで特急を使った。

 この日は青春18きっぷの時期ではないので、仕方なく金沢までの乗車券を買った。前述の経路を窓口で伝えて 切符を発行してもらうのは時間がかかると思って、切符は数日前に買っておいた。学割ありで片道7000円弱。 新幹線+はくたかだと2万5千円ぐらいだったと思う。ちなみに18きっぷなら2300円。話を旅に戻す。仙台駅を出た 電車は市街地の北のやや勾配が急な線路をたどる。仙台市はところにより地形が険しく、自転車では厳しい ところがある。東北大学の青葉山キャンパスや八木山の住宅地はその代表で、人力で行き来したいなら18段 変速のマウンテンバイクか電動アシストが必須だろう。一度八木山を自転車で登ったことがあるが、ひどく疲れて しまった。電車は多少勾配がきつかろうとも平気で上っていく。秋になると落ち葉で車輪が空回りして上れなく なるのは多く路線の共通の悩みだ。今の時期は問題ない。

 険しい山をトンネルでぬけ、山寺を見てしばらく走って山形市に入る。山形駅で米沢行きに乗り換える。ここまでは それほど込んでいなかったが、米沢からの電車はやけに込んでいた。土曜の午前中で、県庁所在地を発着する 電車が2両編成なのは短すぎると思った。座れないので、後ろの運転席の隣で立っていることにした。ここには 誰も来ない上、後ろからの展望を独り占めできる。東北の風景をよく見ておこう。

 電車は畑や刈り入れが近い水田の中を走っていく。さすが東北地方、岩手県あたりでも経験したが、車窓を 眺めていて番多い色は緑だ。

 しばしば、銀色の特急つばさが走っていく。新幹線のおかげで山形は東京との行き来がしやすくなった。 金沢にもあと数年後には新幹線が来る。

 米沢で2回目の乗り換え。ここから非電化の米坂線。東北地方の真ん中の米沢盆地と日本海側を結ぶ路線だ。 沿線人口は少なく、全線を走りきる列車は一日に数えるほどしかない。窓に広がる広い畑を見ると、東北の自然の 豊かさと同時に人気のなさも感じる。

 峠を越えれば、日本海側。峠の東側で降った雨は太平洋に流れるが、西側で降った雨は日本海側に流れる。 坂町で羽越線の電車に乗り換え、越後平野を行く。さすが日本有数の稲作地帯とだけあって、水田が果てしなく 続く。山形や米沢と違って、平野だからだ。新発田(しばた)を過ぎて新潟市に近づく。坂町からここまで40分 ぐらいだが、ずっと水田が途切れなかった。

 13時半過ぎに新潟に着く。次の電車は14時ちょうどに発車するので、それまでに昼飯を済ます。大きな駅だから 駅弁がたくさんあると思ったが、思ったより少なかった。売り切れていたのかもしれないが。それにしても、 新潟駅の在来線ホームはレトロだ。おそらく20年かそれ以上リニューアルしていないだろう。昭和の香りがした。 上越新幹線が開業してから新潟発着の特急は、金沢方面の「北越」や坂田や秋田方向の「いなほ」だけになった から、仕方がないのかもしれない。

 14時発の新井行き快速「くびきの」に乗る。新井は直江津より南の町。もちろん、荒井まで乗るわけでなく、 直江津で乗り換える。この快速列車は特急用車両を使い、停車駅も特急「北越」並みに少ないという乗り得 列車だ。新潟から直江津までは各駅停車なら必ず長岡で乗換えが必要で、所要時間は3時間。(意外に長い!) しかし、この快速なら乗り換えなしで2時間。しかも、指定席車やグリーン車付き。




     山形盆地を走る これが東北地方の風景のひとつ 






     乗り得電車の快速くびきの 新潟にて 


 新潟から10分少々の新津までは8割席が埋まったが、長岡まで行くと7割近く空いた。高速バスの方が便利なの だろうか。東北では中距離移動は運賃の関係上高速バスが主流だそうだが、新潟も同様だろうか。

 原発で有名な柏崎の近くで、日本海のすぐ近くを走る。太平洋は豪快な一方、日本海はどこかはかなげだ。 電車は音も少なく淡々と走っていくので、つい眠ってしまった。

 直江津で北陸線の各駅停車に乗り換え。富山を目指す。トンネルが多いが、少ないながら日本海を目にする ことができる。黒部あたりですっかり日が暮れた。

 富山で最後の乗り換え。富山駅は北陸新幹線のために工事中で、在来線ホームが既に移動していた。かつての イメージとはだいぶ違っていた。北陸新幹線は数年先に来るが、北陸線の第三セクター化でこの旅もできなく なってしまうのだろうか。

 金沢には19時半過ぎに着いた。仙台を8時に出発して12時間近い。名古屋から鈍行で帰るのとは、やはり 体感的なスケールが違う。おそらく、研究室の中で最も帰郷に一番時間をかけているだろう。沖縄出身の 先輩よりも間違いなく時間がかかっている。それゆえ、帰ってきた喜びが今までになく大きかった。



 9月24日、朝5時30分自宅を出発。半そででは若干寒かったが、自転車をこいでいるうちに熱くなるだろうという ことで上に何も着なかった。出発時は日がようやく昇り始めたころだった。暑くならないうちに目的地まで着かないと ひどい目にあう。

 今年は、M氏は実家の門前から和倉温泉をめざすことにした。だから、一人旅ということになる。60キロを超える 距離を一人で走るのは初めてだ。若干不安があるが、この不安こそが自転車旅行のおもしろのひとつだろう。車や 電車なら、トラブルが発生して目的地まで行けないという可能性は想定しない。自転車だと、途中でパンクなど トラブルにあうリスクが無視できない。(実際、我々は今まで3回の旅のうち2回トラブルにあっている)だが、 このリスクが旅人を燃え上がらせる。冒険気分になる。やってやろうという気になる。

 思ったとおり、走って10分もして熱くなってくる。車の少ない朝の金沢の大通りをかっとばす。例年通り。 電車で言うなら、目の前の信号機は常に進行。ほくほく線のように、高速進行だと言ってもいいかもしれない。

 6時半に津幡の市街地中心部を通過。ここまで無停車。可能なら、宿東まで止まらないで行きたい。津幡を 抜けて七尾線の横の道をかっとばす。先には宇ノ気の街が見える。宇野気からは、去年と同様に国道157号では なく県道57号を走る。県道は歩道があり、勾配が比較的ゆるい。国道は大型車の通行が多い上、歩道が狭く危ない。

 国道157号に合流し、宝達川を渡り、左右はずっと水田に囲まれた中を進み続ける。すると宿東。ここで休憩。 7時40分着。前日に買っておいたバナナを2本食い、エネルギーを回復。そして10分後に出発。

 旧志雄町、現宝達志町をずっと進み、道が広くなった。ここからが飛ばしどころだが、去年と同様に脚が疲れて ペースの維持さえ難しかった。この日は出発時から若干逆風が吹いていたが、ペースダウンするほど強いものでは なかったと思う。ここまでで飛ばしすぎたのだろうか。

 中能登町に入り、より疲れがひどくなってきた。宿東から和倉温泉案で無停車で行くつもりだったが、ここで 無理をして脚を壊すわけには行かないので、いつぞやも休憩で停車したローソンで休むことにした。

 休んでいくらか楽になり、ペースをいくらか回復できた。七尾の市街地の入るとなぜかペースが上がる。今回も 例外ではない。道路の周りに建物が増え、逆風をさえぎるなのか、それともゴールに近いくて気合が入るのか、 理由はよく分からない。この時点で9時45分。金沢から4時間強で七尾入りだから、まあ悪くはない。





あと少しで七尾


 七尾の市街地を通過し、七尾線の隣の道を走れば和倉温泉。毎年なら七尾と和倉の間で再びダウンするが、今年はそうならなかった。

 10時15分、和倉温泉駅着。ここでM氏と待ち合わせをすることになっている。遅くとも、能登島行きバスの 発車時間である12時20分までには駅に着くようにと約束しておいた。M氏のルートは思ったより険しく、予定 より時間がかかりそうだという。穴水経由で着たと後から聞いたが、たしかに能登半島の地形を考えると門前と 穴水の間はきつそうだ。穴水から和倉も楽ではなかったらしい。

 約束の時間まで時間があるので、駅の見物などで時間をつぶした。和倉温泉駅は終着駅ではないが、ある意味 終着駅のような雰囲気がある。なにか、はかなさを感じる。





和倉温泉駅 穴水方向を望む


 妙なことに気付いた。駅の見物のあと待合室でMP3プレイヤーを取り出して曲を聴いたら、いつもより音が かなり低く聞こえた。気持ち悪かった。今までにこんなことはなかった。激しい運動をすると、このようなことが 起こるのだろうか?研究室の友人に同じような経験はあるかどうか尋ねたが、皆ないと答えた。自分だけなの だろうか。


 M氏は確か11時半ごろ和倉温泉駅に着いた。ひどく疲れた様子だった。やはり、和倉から先の道は険しいようだ。 かつて穴水や輪島まで1日で行くことを考えたこともあったが、やらなくてよかったのかもしれない。

 和倉温泉の温泉街まで行き、バス停でのとじま水族館行きのバスを待つ。9月の末だったが、日差しはまだ強い。 平日の昼間だったので、温泉街はひっそりとしている。

 やってきたバスの運転手は、去年と同じアニキだった。そもそも、水族館行きバスを運行している能登島バスと やらは零細企業に近いだろう。実は運転手はこのアニキとあと一人ぐらいしかいないのかもしれない。バスの客の 平均年齢は高かった。例年なら4人ぐらい我々と同世代がいたが、今年は一人も見なかった。

 いつものように、能登島大橋を渡る。この橋からの景色は何度見ても飽きない。今までなら、このウェーブした 橋を疲れた脚で渡るのはつらそうだと言っていたが、温泉で回復した次の日ならだいじょうぶだろうということで、 明日、自転車でわたって渡ってみることにした

 バスは能登島の豊かな自然に囲まれて走っていく。アップダウンが大きいから、自転車で行けるのは橋を渡り きってすぐのところのバス停までだろう。さすがに、水族館までは行ける気がしない。

 「マリンパーク島の湯」(能登島温泉?)というバス停で、我々以外全員降りてしまった。この日はのとじま 水族館に行く人さえ、ろくにいないらしい。

 のとじま水族館に着いた。ここは能登の秘境のひとつだと思っている。やかましいもの全てと決別でき、自然を 堪能できる所だ。バスの客は我々だけだったが、水族館の客は思ったより多かった。





バスから見た能登島臨海公園


 のとじま水族館は、生物や海の神秘が感じられる不思議な空間だ。何度見ても飽きない。巨大な円形循環 水槽には特大の魚が何匹もいるが、こいつらは水族館ができてからずっといるのだろう。釣りでこんなに大きな 獲物が食いついたら、引き揚げるのが相当大変そうだ。下手したら竿が折れるのではないか?

 かつてパンダイルカ(イロワケイルカ)がいた部屋は、毎年展示している生き物が変わっている気がする。 今年はカワウソが展示されていた。旭山動物園の如く、生き物が本来持っている能力を発揮しやすそうな環境に なっていた。川のようになっている流路や石、木がセットしてあった。





水槽のガラスにへばりつくミズダゴ


 イルカは思ったよりよくフンをするらしい。トンネル水槽からイルカをみたが、へその下に黒く金魚のフンの ようにぶらさがるものがあった。ひどい場合、かなり水をにごらすこともあった。これだけ大きな体だから、 出す量も半端でないだろう。水槽の水が濁り気味なのも、やむ得ない気がした。

 例年のように、アシカ&イルカショーを見る。見るたびに何かが違う。去年と比較しても、また同じ日に 何度かやるショーを比べても、違いが分かる。生き物だから、動きに不確定性が出るからだ。去年まで ジャンプができなかったイルカが、ジャンプできるようになっていた。





イルカジャンプ!






羽づくろいをするペンギン


 この水族館をじっくり見るなら、確実に半日は必要。一日中いてもいいと思う。あれもこれも見ているうちに、 閉館時間、17時。そして、日が暮れ始める。この時間帯が、何度味わっても切ない。はかない。日本海側 独特の雰囲気だ。

 バスで和倉温泉に戻る。日はもう沈みそうだった。いつもの如く、今昔振舞に着いた。やけに客の気配がない。 今日の宿泊客の名簿を見る限り、少なくはないはずだが・・・そしてまたしても、5人部屋に案内された。2人で この部屋を占領できるとは、なんともぜいたく。広々としていて、気持ちいい。

 晩飯の前に、大浴場で汗を流してきた。M氏は午前中から脚の痛みを訴えていたが、この入浴でいくらかよく なったらしい。さすが温泉パワー。おれもだいぶ疲れがとれた。

 あらためて周囲を見回すと、温泉にも廊下にも人がいない。平日だからだ、と毎年のように言っているが、 まさかこの年(2009年)の終わりに驚くべき話を耳にするとは思っていなかった。

 そして晩飯。自転車でエネルギーを使うだけ使った後の飯はうまい。能登の海の幸は最高だ!少し高くなっても、 もっと食べてもいい気がする。これだけがんばったのだから、バチは当たらないはずだ。

 飯の後旅館の中をうろうろしたが、やはり客を見ない。これだけ人がいないと妙な気がする。去年なら我々だけで 独占・貸切だと喜んでいたが、今年はそうもいかない。風呂に入って疲労をすべて吐き出したあと、泥のように寝た。

 次の朝、大窓からのまぶしい朝日で起きた。このようにさやかな朝はそうそうない。昨日の晩しっかり食べて おいたのに、猛烈に腹がすいていた。海を目の前にがつがつ飯を食う。海から、自然からのパワーをもらってさらに 興奮したのか、食っても食っても食いたくなった。

 宿を出た。まさか、このときが我々の今昔振舞の最後の宿泊になるとは思いもしない。自転車で温泉街を抜け、 能登島大橋に向かう。自転車で渡ろうとするのは初めてだ。毎年バスから橋の急な勾配を見て、これを自転車で 登れるかどうかと思っていた。さすがに金沢から走ってきてすぐには難しそうだが、次の日には回復して登れそう だということでチャレンジしてみた。

 橋の手前から見ると、やはりすごい勾配に見える。そり立つ壁とまでは言わなくても、かなり威圧感がある。 思い切り加速し、橋にさしかかった。とたんに左右が開け右手も左手も海が広がっていた。これはすごい! 鳥になったかのような気分だ!勾配のきつさなどすっかり忘れ、夢中で自転車をこいだ。橋の頂上からは下り 坂だが、ものすごい落差に見える。ここも勇気を出して、思い切り加速する。ここも鳥になった気分。

 なんだ、こんなにいいところだったじゃないか!我々はもっと早くこの橋を渡るべきだった!

 能登島まで渡りきり、バスの停留所があるところまで行った。さすがにこの先は能登島の急峻な地形で 自転車には厳しすぎる。仮に自転車で金沢から直行できてもここまでだろう。

 もう一度橋を味わい、鳥になってから和倉に戻った。そして海沿いの道を進み、七尾に向かう。真夏では ないが、太陽がじりじり暑い。





能登島から見た能登島大橋






とても急な坂に見える


 七尾食彩市場で時間をつぶして寿司を食い、十分なエネルギーを得た。これでバナナを買えば恐れるものはない。帰途につく。

 M氏はもう一度門前に戻るので、七尾で別れることとなる。門前から七尾のルートが厳しかったので、M氏は 楽なルートを探して県道23号を通ることにしたそうだ。おれはいつもどおり国道159号を通ることにした。

 13時ちょうどに159号線の起点となる川原町交差点を出発。少しずつ速度を上げていく。七尾の市街地を 出るころには、時速25キロぐらいを維持できる体勢に入った。相変わらず日が焼けるように暑い。初秋の 雰囲気もあるが、まだ気分は夏だ。信号ひとつなく、田や畑の中をつらぬく道路を走っていく。

 すごいペースだ。1時間で起点から25kmのポストを通過。つまり、時速25キロで走ってきたことになる。 毎年七尾から宝達志水町までは飛ばすが、今年は特に速い。

 14時15分、宿東。ここで初めての休憩。自転車を止めてすぐに、汗が吹き出てきた。休むと同時に冷却も 欠かさない。バナナを2本食う。

 宿東を出ると、ややくたばってきた。それでも、できるだけ今までのペース、毎時間25キロを維持する。 できるなら、宿東からは1度の休憩もなしに金沢に着きたい。県道59号の一部に厳しい勾配があったが、 ここでは無理をせずにペースを落とし、下り坂でかせぐ。なんとか大幅なペースダウンは避けられた。

 宇野気を出て七尾線と併走する。ここでさらに足が疲れてきた。目に見えてのペースダウンだが、ふんばる しかない。津幡を抜け、2回前ぐらいから通るようになった裏道(国道の歩道は危ないし空気が汚い)を走る。 とにかく、国道159号を平均時速20kmで走りぬきたかった。

 金沢市に入り、北陸線と併走し、鳴羽、東山と進む。そして尾張町を通り、ついに武蔵交差点。ここまで、 七尾から3時間15分。最速タイムだ。64kmをこの時間で走りきったということは、平均時速19.7km。ほぼ 時速20km。このペースは自分でも驚異的だった。今回は追い風だったのだろうか。去年がひどい向かい風 だったのとは対照的に、すいすい進めた年だった。


追記 我々が毎年泊まっている今昔振舞は、2009年の暮に倒産してしまった。毎年客が少ないなと思って いたが、まさかこうなるとは思っていなかった。阪神大震災、愛知万博、能登半島地震と客が減る原因が 続いたのがよくなかったようだ。やや関係ないが、この年に秋には北陸鉄道石川線の鶴来と加賀一の宮も 廃止になった。この年は燃焼からなじみだったものが立て続けになくなる年だった。



END

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