自転車で能登へ!!! 往復150kmの旅



それはDenkoとDenkoの友人M氏との野望だった。我々はかつて鉄道で能登半島を旅したことはあったが奥能登(能登半島北部)がメインで七尾や和倉温泉をじっくり見たことはなかった。

特に、和倉温泉のほうは湯につかったことすらなかった。いつかは行こうと思っていたが、列車で行っても2時間かからず、列車を使うのは面白くないと思っていた。

そこで、我々は思った。自転車で和倉温泉まで行こう、と。そうすれば付いた先での湯も料理もうまいだろうと。ということで、大学生になって初めてのこの夏休み、計画は実行に移された。


2005年9月8日&9日


出発日前日、台風14号が通過していった。出発前、台風の吹き返しがないか、そのほか天候面で問題がないか心配だったが、明日しかないと思い、出発を決めてエネルギー源であるバナナを買う。(後々このバナナがちょっとした悪さをする)

なぜこの日にこだわったのかというと、カンカン照りになるような日は体力の消耗が激しく、多少雨が降っても曇りがちで涼しい台風の通過後のほうが楽だからだ。自転車で行くので熱中症になる心配はさほどないが、涼しいことに越したことはない。


そして当日の朝、午前5時出発予定だったが筆者の寝坊で40分ほど出発が遅れた。それ以外は特に変わったこともなく前日心配したような吹き返しなどもなく出発できた。我々の実家がある金沢市郊外の某所から 今日たどる国道159号線の起点があり近江町市場がある武蔵に行き、「国道159号線 起点 武蔵が辻」の小さな標識を見て力強く自転車をこぎ出す。朝も7時前なので自動車はあまり来ない。堂々と車道を時速40キロほどで疾走する。

津幡から富山方向への国道と別れ、宇ノ気方向へ。ここらは国道の高架化により交通量が少ない旧道を走ることができ、快く疾走できた。まだ7時前だが、並行する七尾線の電車は通勤・通学客でいっぱいだった。

宇ノ気が入ったところで多少勾配があり、速度が落ちる。同時に少し疲れてくる。国道の右側は平坦だが国道だけがやけにアップダウンを繰り返している。自動車にとってはなんともない勾配でも、自転車には厳しいことが多々ある。

さらに高松町(現在は前述の宇ノ気町と合併してかほく市)に入る。ここから自転車にとっては”酷”道159号線となる。というのは、歩道がやたら狭いからだ。うなぎの通路としか言いようのないもの(幅50センチもないもの)もあり、その上車道も狭いので歩道を避けて車道を走るとかなり危険を伴う。困ったものだ。

コンビニで多少休憩する。足がちょっと疲れた。朝飯を十分に食べていないせいか腹が減った。バナナを食う。10分ほどで出発。

石川看護大学を過ぎ、七尾線の駅で言えば免田あたりまで来る。ここで国道249号線を分ける。我々はひたすら159号をたどる。だんだらと長い勾配が続いた。それでも力いっぱいこぐ。やっと勾配の頂点に来た。すると待望の下り坂である。ここでも力いっぱいこぎ、加速する。時速50kmまで達したかもしれない。

まもなく宝達川。川の前後は決まって勾配があるが、この川は特に厳しい。それもそのはず、宝達川は天井川だからだ。天井川とは、川の底が周囲の土地より高い川のことで、氾濫防止に堤防を作る → 川が土砂を運び、川底を上げる → 氾濫するの繰り返しでできる。滋賀県に多いそうだ。 宝達川の水面も周囲の土地より高い位置にあった。ちなみに、七尾線ただ一ヶ所のトンネルはこの川をくぐる宝達トンネルである。


宝達志水町、羽咋市を通過。国道は広く平坦になり、とても走りやすくなる。 ここで我々は思い切り飛ばす。45キロは出たかもしれない。両側には深い緑の山々があり、空には綿雲が浮いていた。ふと山々を注視すると、なんと虹がかかっていた。低い虹ではあったが、とても美しいものであった。




羽咋を過ぎて思い切り飛ばす。よく見れば山に虹がかかっている。


七尾の手前10kmのところ、中能登町で休憩。ここで、前述のバナナが悪さをする。袋からバナナを取り出したところ、得体の知れないドロドロとした液を垂らしてきた。そのうえ、悪臭を放ち、褐色になっていた。 無理もない。出発から4時間余、袋に入れてさらにリュックに入れて、蒸すような状態だったからだ。友人のも同じことになっていた。さしあたり、腐敗がひどいものを先に食い、まだマシなものを袋に入れた。

ここで気づいたのだが、この時点で9時45分、起点から60キロを4時間強で走ったことになる。これには驚いた!予定では丸々一日かかって和倉温泉に着くつもりだったのが、これでは昼前には着きそうだ!予想をはるかに超えるハイペース!!! ただただ驚いた。


休憩後七尾へ向かう。七尾市の市街地に入ってしばらくして国道159号が終わる。そのまま七尾駅へ行く。本当に信じられない。まだ11時にもなっていない。日も沈むころ、ヘトヘトになって和倉に着くつもりがまだ昼飯前。午後からどこかへ行けそうだ。




まだ午前中の七尾駅 予想以上の早着にびっくり


七尾食祭市場へ行き、加賀屋で昼飯を。自転車でここまで来れたことを祝い、多少贅沢をして1800円の海鮮丼を食った。うまかったが、 ここまで来るのに相当なエネルギーを消費したからか全部食べてもなお腹がグーグー言った。ここは例のバナナで我慢。

そして和倉温泉街へ行き、予約をした温泉旅館に荷物を預け、予想よりずっと早く着いたので能登島水族館へ行くことにした。 最初は自転車で行こうとしたが、和倉温泉駅からのバスで行くことにした。理由は後述する。困ったことに、バスは行ったばかり。今1時になったばかりで、 バスは2時半までないらしい。駅で待つのも暇なので和倉温泉の温泉街へ戻り、見物。ちなみに駅と温泉街は距離にして3キロほどなので自転車でも10分かからない。

我々が泊まる宿は多少小ぶりだが、加賀屋などはとても大きく、海に面していた。

海に目をやる。なんと静かで、そしてきれいなのだろう。海中をよく見れば小鯵がいた。




穏やかな七尾湾 和倉温泉から


正面には能登島、右手にはウェーブした形が美しい能登島大橋、左手にはフラッシュを点滅させている中能登農道橋(農道橋とはいうが車も人も渡れる普通の橋)が見える。潮は穏やかで風が心地よい。我々はしばらく能登の空気に浸っていた。




和倉温泉から見た能登島大橋 見てのとおりウェーブしている 自転車で渡ればかなり疲れそうだ


能登島水族館へ行くことを決めたとき最初は自転車で行こうとしたが、ふとよく考えると能登島大橋は見てのとおりアップダウンがあり、橋だけでなく能登島も起伏が激しい。もし自転車なんかで行ったら水族館に着くまでに日が暮れ、最悪の場合和倉まで戻れなくなるかもしれない。こんなわけでバスで能登島水族館へ。




和倉温泉駅で折り返しの支度をして待つサンダーバード今日のお客は能登を満喫できただろう





和倉温泉の駅名板 我々はとうとうここまで自力で来た


2時半になり、バスで能登島水族館へ向かう。市街地を出たバスはすぐ能登島大橋に差し掛かった。橋は思ったよりアップダウンが激しい。バスはエンジンをうならせ、ゆっくりと橋を渡る。橋の白と空と海の青、深緑の緑のコントラストがいい。

橋を渡りきり、能登島に入る。ここに能登島大橋、ついで中能登農道橋がかかってからは僻地でなくなった。特に今渡った昭和57年開通の能登島大橋の恩恵は計り知れない。ちなみに、能登島水族館も橋と同時にオープンした。(橋は数年前から通行料が無料になった)


バスは山道を進む。客は我々以外にいない。無理もない。夏休みなのは大学生だけで、しかも平日である。さっきから気にしていた運賃のほうだが、水族館に着いたときには610円になった。ちょっと高くないかとも思ったが、この山道で運転手は大変な上、客は少なく平日などは採算が取れているとも思えないので、高くせざるを得ないのだろう。

能登島水族館に着いたのは3時。閉館は5時なので2時間しかいられないが、存分に楽しみたい。

我々が能登島水族館に行くのは5年ぶりかそれ以上で、なつかしい。この日は平日なので我々と同年代の学生がぽつぽつといる程度。日は西に傾きつつあり、なにか寂しさも感じられた。巨大水槽は何度見ても飽きない。今回この水族館ができた時からの住人、すなわち”水槽のヌシ”らしき特大のブリがいることを発見した。




巨大水槽の中の魚たち 中には特大のクサフグも ここに"水族館の主"がいる


たまたまマダイの音と光のショーに出くわした。これは能登島水族館独自のショーで、訓練されたマダイがつくる群れをを 音や光で自在に操るというもの。これは見事で、マダイの動きだけでなく、スポットライトの反射光も美しい。鑑賞だけでなく、栽培漁業にも応用できる可能性があるらしい。

ここのラッコはある一風変わったことをやる。ラッコの行動のひとつに、腹に置いた貝を石で割るというのがあるが、能登島のは氷同士をぶつけて割っていた。 石を用意するとラッコがふざけて投げつけ、ガラスが割れるからだそうで、ラッコは我々が思っている以上にいたずら好きなようだ。

1階に下りると「ふれあい水槽」なるものがあった。これは以前は無かったもので、大気圧の作用で水槽の側面に15センチ四方ぐらいの穴が開いているのにもかかわらず水が漏れてこない。

さらに行けば、イルカプールがある。ちょうど今日最後のショーがはじまった。イルカショーを見るのも、何年ぶりだろう。青空をバックに水しぶきを上げるイルカは、 すがすがしさにあふれている。それと同時に、西日が差し込みがらんとした客席が何とも言えぬ寂しさを醸し出していた。言葉にするのが難しい、不思議な気分だ。




イルカがジャンプ!





プールサイドに上がってそろって尾を上げるなんともキュートなしぐさだ





渾身のジャンプでボールにタッチ!





そして最後はそろってジャンプ



イルカショーが終われば、もう閉館時間が近い。急いで土産を買い、バス停へ戻る。バスは閉館直後の5時ごろの一本が最後だ。そう分かると、 すがすがすさと寂しさのうち、寂しさが強くなる。日がさらに低くなるのも寂しさをいっそう強くする。ヒグラシが、もう今日は終わりだよと言っているように鳴いた。


和倉に戻って、すぐに飯。能登島の余韻に浸りながらがつがつ食う。友人と、けふはよくここまで自転車で来た、万歳!!と祝杯を挙げた。 飯は能登の海鮮物で、名古屋にいるときには口にできなかったものがたくさん出てきた。ああ、やはり能登が一番だと思った。全部食べ、さらにおかわりをしたが昼のごとくまだ満たされない。相当エネルギーを減らしたのだな。

飯の最中だったと思うが、女将さんから、昔はたくさんサザエが取れたという話を聞いた。干潮にもなれば、バケツ2杯は軽く満杯になったそうだが、 今は個体数が減ったせいでなかなか捕れないという。能登半島の門前が実家で、よく釣りをする友人もそう言っている。 来年は自転車で門前行き、サザエをとろうという話もした。

本当は飯前に行くべきだったが、温泉へ。身体を荒い、すぐに入ろうとした。

熱い!!

湯は中と露天の2つあったが、両方とも足でさえ5秒と入れられなかった。特に中の方は熱く、やけどするのかと思ったぐらいだ。源泉は摂氏87度だそう。 すぐに入るのはあきらめ、足を冷却。そして次にアタック。まだ熱い。だが、さっきよりは長い間入れることができた。こうして湯→冷却→湯→冷却→・・・・を繰り返し、露天、中の両方ともに 入ることができた。ここで旅の疲れを一気に落とす。おおよそ1時間ほど風呂場にいた。

風呂から上がり、今度は徒歩で温泉街を散歩した。なれぬ下駄でかつかつ音を立て、我々は何か面白いものがないかさまよった。

歩いてすぐ、足湯を見つけた。足湯と入っても噴水のようなもので、やっていいのか分からなかったが、そこに足を突っ込んでしばらく座っていた。 何度も言っているように、この日は平日。それゆえほかの客は少なかった。周りの旅館から漏れてくる光に照らされた湯気が空へと上っていった。

ふと「しらさぎの湯」のモニュメントに目をやると、湯に出口にざるが置いてあった。何のためだろうと思って近くに行ってみると、温泉卵を作るためだった。 ちょうど腹が満たされていないところだ。友人と作ってみることにした。近くのスーパーにわざわざ温泉卵用の網に入れられた卵があり、それを買ってざるに入れる。説明によれば、10分でできるとのこと。 説明通り10分待ち、食おうと殻を割ると、それはただのゆで卵だった。どうやら10分は長すぎるらしい。


1時間ほどで旅館に戻り、すぐ寝る。布団に入った瞬間、寝たように思う。


翌日、空腹で目が覚めた。昨日のようにがつがつ朝飯を食い、朝風呂。ここであることに気づく。昨晩は露天のほうが入りやすかったが、今日は中が熱すぎる。中と露天の温度が入れ替わったようだ。

女将さんにさよならを言い、温泉卵を作り直して半分をその場で食い、もう半分を持ち帰る。どうか行きのバナナのようになりませんように。

行きで十分余裕があることが分かったので、この日は午後出発ということにする。まず、新車が入ったのと鉄道を乗ろう。和倉温泉から穴水へ行き、そこから今年(2005年3月下旬)に廃止になった穴水より先を見ようと思う。 さすがに60km先の珠洲までは行かない。となりの中居にとどめる。

和倉温泉にやってきた七尾発の列車は新車NT200単行で、席がほとんど埋まるほどの乗車率だった。発車して、NT200は以前主力だったNT100より 軽快に加速する。まだ新車のにおいが強めで、能登の空気になじみきっていないように思えた。何年も走っているうちになじんでくるだろう。




和倉温泉駅 ここからのと鉄道の列車で穴水へ





穴水行きの単行ディーゼルカー まだ新車のにおいがプンプンする


列車は深い緑と青い空の下を快走する。そこへ海が飛び込んでくる。この風景を見るのも、久しぶりだ。いつ見てもいい。 そう思っているとすぐにトンネル。ぬけると鬱蒼とした松林。ああ、これが能登半島だったな。

穴水に着いて駅を歩き回る。ずいぶんと寂れてしまった。かつては先に二本の路線が延びていたが、両方とも列車が走らなくなった。 ホームは改札口前の1番線のみの使用となり、珠洲方面の0番乗り場に列車が来ることはない。その左手には2番線と3番線があるが、NT200の投入で引退したNT100がごろごろしており、廃車待ちで悲しんでいるように 見えた。珠洲方向でもNT100がごろごろしている。線路にはぺんぺん草が生え、レールは夏の日光を反射し輝くこともない。輪島側が廃線になったときはここまで寂れていなかったから、今回の穴水駅の変化に驚いた。




右手には任を解かれゴロゴロしているNT100 いずれ海外へ輸出されることとなる。左方奥には我々が乗ってきた気動車が見える。





穴水駅駅名板 「なかい」は消されていない。





かつて通じていた輪島・珠洲方向を向く 右手の輪島・珠洲方向用0番線の線路は輝きを失っている。





今は使われていないホーム NT100が暇をもてあませている。ここも「なかい」がそのまま。「なかい」の右隣には「のとみい」があったことだろう。


ここで折りたたみ自転車を借りる。これはのと鉄道の企画の一つで、穴水、能登中島、七尾などで折りたたみ自転車を借りることができるというもの。列車内に持ち込み、 無人駅から使うこともできるようになっている。駅によっては年中使えるところもある。




穴水駅から200メートルほど輪島・珠洲方向に行ったところにある踏切 夏草が伸びたい放題





上の踏切の隣にある橋 この橋の右隣にはいくらか前まで輪島方向用の橋があった。ここでもNT100が暇をもてあましている。


穴水から海沿いのサイクリングロードを走る。友人はこの近くの沖で釣りをし、アジを釣ったと言った。岸に近いところでは小さいものしか つれないそうで、大物を釣りたければ沖に出る必要があるとのこと。うまくいけば一日に何十匹も釣れるとか。

七尾湾を眺めつつ曲がりくねったサイクリングロードを行く。とても静かだ。和倉温泉の海と同じだ。ただ、こちらは湾の奥のせいか波がさらに少ない。湖のようだ。ここのアジはとてもうまいだろう。

しばらく走って昼飯を食い、昨年の春で廃止となったのと鉄道穴水〜蛸島の廃線後をたどる。能登有料道路の飲食店などが集まっているところから市街地を抜け、歩道の無い道を走る。町を出てすぐ、5年前に同じ運命をたどった穴水〜輪島の 橋の跡を見る。「跡」と言うからにはもう撤去されて橋そのものは存在しない。その場所は今道路工事中である。廃線跡は道路と化するようだ。この国道249号線、途中トンネルがあり後ろから車が来ると危険である。 排ガスも苦しい。加えて、アップダウンが激しい。勾配は5%ほどだが上り坂の頂上にたどり着くときにはヘトヘトになっている。それに続く坂は天国なのだが。

山深そうなところを走ったり開けたところに出たりの繰り返しで30分ほど行ったところでやっと中居の集落が見えてくる。中居は穴水から少し離れていることは頭にあったが、前述のようなトンネルや坂、後ろからの車 で余計疲れてしまった。だが来た甲斐はあった。中居駅は夏草につつまれその緑と対するように線路が赤い錆を見せていた。あたりは人気が無く、ヒグラシやコオロギがもう夏は終わりに近いよと鳴いている。待合室はおそらく廃線後そのままだ。 駅名板も盗まれることなくここは仲居駅だと主張するがごとく立っている。なんとも言えない寂しさがあった。ここをかつて列車で通ったんだな。今は
夏草に覆われ、自然に帰るのを待つのみである。




列車が来ない中居駅 電話ボックスはまだ使えるようだ 携帯電話が誰の手にもある今、駅とともに自然に帰っていくのだろうか。





ホームから穴水方向を望む 夏草が赤茶けた線路を隠している





まだ撤去されずに残る駅名板





宇出津・珠洲方向を望む 今にも汽笛が聞こえてきそうだ


中居にはボラ待ちやぐらもある。海の上に木を組んで作ったやぐらである。やぐらの下に仕掛けたワナにボラがはまるのを待ち、ボラが来たところで ワナを引き上げるというなんとものんびりとしたもの。木の直線、傾きがなかなか美しい。このやぐら、今は漁では使われていない。

説明によれば、なんとローウェルが訪れている。ローウェルとは19世紀から20世紀前半の天文学者で、火星人の存在を信じ同時に冥王星を探していた。
前者に関して、ある天文学者の「火星に溝がある」という発表を「火星に運河がある」と勘違いして火星には運河を掘れる文明を持つ生物がいると思い、 ずっと観測していたそうだ。後者に関して、20世紀になって冥王星の存在が予言され たくさんの天文学者が冥王星探しをし、ローウェルもその一人だったそうだ。結局彼は冥王星を発見できずに死ぬこととなる。(その後発見したのは彼の弟子)

話が大きくそれたが、そのローウェルはボラ待ちやぐらを「創世記に出てくる大洪水以前にあった掘っ立て小屋の骨組みを、これも有史以前の伝説による怪鳥ロックが巣に選んだ場所」と なんとも大胆な形容をしている。大胆とは言うが海の上で突然このような物を目にしたら奇妙な形容をしたくなるのも分かる。




ボラ待ちやぐら ここで能登らしい、のんびりとした漁法が行われてきた。





海と太陽がまぶしい 静かに波の音だけが響いていた





ここにローウェルの面白い比喩が記してある


ここで帰りの穴水からの列車があと30分後に発車ということに気づく。まずい。ここまで来るのに30分、しかもある程度体力を消耗している。

もし乗り遅れると1時間待たされることになり、待たされるだけならいいのだが我々は和倉温泉から自転車で自力で帰らねばならないのだ。あまり遅くなると、金沢に入るころには真夜中になってしまう。 それだけではなく夜暗い歩道のない道を走ると言うのは危険である。できるだけ明るいうちに進んでおく必要がある。

急げ!穴水駅へ!何が何でも穴水発14時12分に間に合わせるのだ!

我々は全速力でこぎ始めた。折りたたみ自転車のタイヤの直径が30センチほどしかないためかなかなか速度が上がらず、またすぐに減速する。こげどこげど進まない。 やっと坂を上りきったところで下り坂を思い切り加速。だがタイヤの小ささのためあまり速度が上がらない。それでもこぎ続けた。後ろから大型トラックが来る。こわい。 排ガスもひどい。でもそんなことは言っていられなかった。なんとしても14時12分発の列車に間に合わせるのだ!!

汗まみれになって穴水に市街地に入る。まだ14時ちょうど。よし、間に合う。駅に着いて自転車を返し、列車に乗り込む。すると発車。 まだ14時2分じゃないか。そう言って時刻表に目をやると14時2分発。なんと、我々はぎりぎりセーフだったようである。おれは一瞬凍った。

まあいい、間に合ったのだから。我々は穴水と中居をスピードの出ない折りたたみ自転車で往復した疲れから、列車内で寝てしまった。このぎりぎりセーフが後に我々の運命を左右するとは思うこともなしに。

和倉温泉駅で降りて、自転車に乗り換え金沢への帰途に就く。この時点で3時前。行きのようにかっ飛ばせば7時半に金沢に着く。ゆっくり行っても6時間だから遅くとも夜9時には着くだろう。

七尾に寄り、スーパーでドリンクを調達する。いいもの発見。熟れすぎて茶色が強くなった33円バナナが山積みされている。行きでバナナに散々 いじめられたことなどすっかり忘れて、迷わずゲット。この値段なら多少腐っても平気だ。それにバナナは腐りかけが一番うまい。

腐りかけバナナという強力なアイテム(?)を手にし、七尾を出る。行きと同じ国道159号線をたどる。市街地を出て道路が広くなってから、こげるだけ力いっぱいこいだ。言葉変えればかっ飛ばしたことになる。行きで、さらに穴水と中居を往復して 相当疲れているはずなのに行きと同じぐらい飛ばせてしまう。これは温泉の効果なのか、我々が若いからなのか。両方あるだろう。

かっ飛ばしている時は気持ちがよい。行きはまだ午前中ということもあって景色は青っぽかった。今はおやつの時間過ぎのためか全体的に黄色く見える。

15キロ進んだところで休憩。ここまで来るのに30分強。つまり平均時速は30キロに近い。やはり相当なかっ飛ばしだったようだ。

この先も我々は飛ばし続ける。そのうち、ふくらはぎが少し痛み出した。かっとばしが引き金となっているのは言うまでもないが、今までの疲れが少しずつ表れてきているのだろう。

羽咋の手前で道が狭くなった。同時にペダルが重くなった。道路は多少上っているが、その割には重い。

そのうち友人と50メートル、多いときには100メートルも間が開くようになった。おかしいな。とにかく力いっぱいこいで追いつこう。

行けど行けども重い。それどころでなく、重さが増してくる。まさか、パンクじゃ。予感は当たった。気がつけば走行感覚がかなりおかしくなっていた。加速してもガクガクと振動し、すぐに減速してしまう。参った。困った。こんなところでパンクとは。

すぐに友人は羽咋市の市街地を指差し、あそこにホームセンターがあるから修理してもらおうと言った。


助かった・・・


羽咋市の近くだったのでよかったが、これが草原だったりしたらどうなるかと思った。それにしても、なぜパンクしたのだろう。

修理工のおじさんがタイヤのパンク箇所を見せてくれた。なんと、釘が刺さっていた。そういえば、七尾と羽咋の間を爆走していたとき、なにか踏んづけたような気がした。 そのときは大したことないと思っていたが、なんとパンクを招いてしまったようだ。

もうひとつ問題が発生。そのときの手持ちは4000円だったのだが、なんとタイヤに釘が刺さっているためチューブのみならずタイヤの外側まで交換が必要と言われもし両者とも取り替えると6000円かかると言われた。 チューブだけ取り替えてタイヤを取り替えなければ空気を入れたときあるいは走っているときにタイヤが裂けてしまうという。

手持ちだけでは足りないからさしあたりチューブだけを取り替えてくれと言った。走っている最中にタイヤが壊れるぞと再び言われた。君ら、金沢に帰るのか? 近所に住んでいるのではないのか?それなら今回だけ、チューブ取替えの料金でタイヤ取替えまでやろう!と修理工のおじさんが負けてくれた。

これには驚いたと同時に助かったという思いがあった!おじさん、ありがとう! (もしこれでタイヤの交換ができず道中で故障したらどうなっていただろう?)


修理で1時間半ほど経ち、おじさんの好意に助けられて復活。もう日は水平線に近い。(ここは日本海側だから日は海に沈む)午後6時ごろだったと思う。 このまま国道159をたどるのはつまらないだろうということで能登有料道路沿いを走ることにする。能登有料道路は羽咋より南が海沿いであり、 行きも含めて今まであまり海沿いを走っていないので気分転換にはよいと思った。

おれはかつて能登有料道路の金沢側の基点である内灘から自転車で北上したことがあった。そのときは真夏の日中で、海から吹く海風が強い上アップダウンが思ったより激しく、10キロ強ほど行ったところでダウンして引き返した。

それに比べればこれから夜になるので陸風が吹き、いくらか走りやすいだろうと思った。

ちなみに、このサイクリングロードは能登有料道路の隣にあるだけで通行料は一切取られない。道路の歩道と同じものだ。

羽咋の市街地を過ぎ、海の方向へ行くと能登有料道路。その脇のサイクリングロードを進む。もう日は沈んだころだろう。そう思ってちょっと浜へ出てみると、案の定、 日が沈んで間もないころだった。波の音だけが響き、我々意外誰もいない。この景色は美しさと同時に寂しさを強く放っていた。

さて、このサイクリングロード、意外に走りにくい。まず能登方向、すなわち我々と逆方向へ進む自動車のヘッドライトがまぶしい。一瞬ふらつくことがある。 加えて、道路の状態がよくない。もちろん舗装されていて穴や凹凸などないが、至る所に木の枝が落ちている。長さ50センチを超えるものも珍しくなく、 踏んだときにはメリメリバリバリ言う。足を傷つけそうだ。それ以上に、二度目のパンクは何が何でも避けたい。この近くに修理できるところはないし、金もないし、 真っ暗だ。我々はぶつぶつ文句を言いながら時折来るヘッドライトのまぶしさや木の枝に耐えて走っていた。

途中地形の都合上有料道路の下をくぐり反対側を走ることがあったが、道路をくぐるトンネルが真っ暗で不気味であり、砂山や水溜りがあってハンドルをとられる。

もうだめだ。こんな調子で金沢まで40キロも走れない。次の交差する道で有料道路のサイクリングロードを抜けよう。

我々は千里浜の近くの今浜IC付近で一般道へ移った。ちなみに、この時点で日は完全に暮れ、真っ暗に近かった。


その道は街頭ひとつない道で、林を貫いているため真っ暗。自転車のライトがなければほとんど進めないような道だった。たまに来る車のヘッドライトを頼りに前方の状態を確認し、さっさと進んだ。

なんとか街灯のある道路と合流。あとから確認したところ、この道路は国道249号線で、行きに通った国道159号線と途中で分岐した国道である。分岐とは行っても羽咋までは国道249、JR七尾線、国道159が平行している。

これも後から分かったのだが、羽咋でサイクリングロードに入ってから今浜で出るまで5キロ今日しか進んでいなかった。

結局国道を走ることなる。ここから飛ばす。この時点で7時。夜になり車も少なくなっていたので車道を全速力でこぎ、時速40キロ弱ほどで疾走。 おれは初めはよかったものの10分ほどして足が疲れてきた。友人は今までと変わらず飛ばす。パンク直前のときのように数十メートルも開く。腹が減っていたというのもあっただろう。例のバナナを食いながら必死にこいだ。

疲れた・・・長い・・・

こげどこげど金沢は近くならない。確かに進んではいるのだが・・・

まだ高松にも達していない・・・

疲れた・・・まだか・・・

疲れた・・・まだか・・・

国道に移ってから1時間、8時ごろもまだ全速力でこいでいた。金沢は遠い。

足が痛い・・・まだか・・・疲れた・・・

腹が減った・・・・疲れた・・・足が痛い・・・

時間が長く感じた。とにかくこいだ。だいぶペースは落ちたと思う。だがこいだ。


やっと宇ノ気だ!ここでどうしても空腹を抑えられられなくなり、友人に頼んで休憩を取る。バナナはすでに尽きていて、菓子など即座にエネルギーとなる食い物を買い、食った。

宇野気から津幡へは、行きも通った国道の旧道を通る。高架の新道のほうはにぎやかだがこの旧道は街灯がほとんど無く暗い。だがその暗さの中でかなたに見える明かりが美しい。 ナイトサイクリングのよさを知った。さっきの休憩の効果もあり、また疾走できるようになる。この時点で夜9時。


津幡を出ようとしたとき、金沢へはまっすぐのところ友人は右折する。どこへ行くのだろうと思いついていくと、津幡の町を抜けたところで真っ暗で平坦な道に出た。この道はたまにある信号機とぽつぽつ来る車のヘッドライト以外の 明かりがない。まっすぐではなくたまにゆるめのカーブがある。はるかかなたには金沢の市街地がダイヤモンドをちりばめたように見える。道の左右では何かテーマパークのようなものが光を放っていた。

幻想的な道だった。途中丘があり、その影では真っ暗になる。その次に現れる小川は市街地から来るわずかな光を反射している。我々はこの道が持つ不思議な雰囲気を感じつつ進む。

道路標識には金沢という表示とともに内灘という表示もある。どうやら北陸線やそれに沿っている国道159号線よりは北を走っているらしい。でもそこはそんなに内灘に近いのか疑問だった。

それほどスピードは出ていなかったはず。明かりが信号かたまに来る自転車のヘッドライトしかなかったので、昼間ぐらい飛ばしているように感じた。どうやらこの道路は金沢競馬の近くの道路らしい。友人はそう言った。


後から確認してみると、この道路は金沢競馬場の真横を通っている。だがこの道路を走っているときに目にしたテーマパークのようなものはまったく無かった。あるとすれば食肉流通センターや総合農業研究センターで、 9時の過ぎにもなって営業しているとは考えにくい。あれは幻覚だったのだろうか?

この不思議な道をずっと進み、(道のりに津幡からして5キロ弱)人気のある団地に入った。この団地はもう金沢市内だった。やった、金沢市に入った。


この幻想的な道をを走るのは国道159号を行くより遠回りだったようだ。しかし国道159号の津幡から金沢は交通量が多く歩道は段差があり狭く走りにくい。まして夜ともなると前方の歩道の状態がわからず段差でバランスを崩してコケる可能性が高い。 そうでなくても段差を越えたり狭い歩道を落ちないように走るのは疲れる。だがこの道は歩道こそ無いが車はほとんど来ない上段差も無く走りやすかった。雰囲気も気に入った。国道159をそれたのは正解だったと言える。この道を昼間にも走ってみたい。


ひとつ気になったのが、津幡を過ぎてから金沢に入るまで、山の上で度々起こる点滅だ。20秒に1回ぐらい、雷のような感じだった。その日は朝から晩まで雲はほとんど無く、雷とは考えにくい。正体は今でも分からない。


北陸自動車道や北陸線を越え、ようやく金沢市の市街地へ。もうあと一歩。

そしてとうとう我々の住む町へ。やった!!! 走破した・・・!!往復150キロ、帰りにトラブルがあったがどうにか走りきった!!! この時点で10時。帰りの平均時速を求めると、パンクによる修理の時間も含めれば和倉発が3時だったので10キロ強ということになる。まあ、こんなもんだろう。

我々はこの長旅の成功を祝い、祝杯を挙げる。法的にはまだ数ヶ月待つ必要があるが、そんなことなど頭に無かった。


ああ、いい旅だった!! やはり能登が一番だ!! 能登最高!!


END


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