急行能登路1号で珠洲へ



執筆 2006年8月

1999年7月31日


このときDenkoは中1だった。前の年に急行能登路に乗って輪島へ行ったので次は珠洲方向だ。各駅停車で行ってもいいが、発車時刻が手ごろな急行能登路を再び使うこととした。



ここ金沢駅4番線は、急行能登路や七尾、富山方向へ向かう普通列車が発着する。ディーゼルエンジンの排出ガスをにがすためか、駅のはずれの方にある。


急行能登路1号は金沢を定刻どおり8時7分に発車した。独特なオルゴールが鳴ると停車駅の案内が始まる。これがあるとなぜか旅情が沸き立つ。キハ58など国鉄時代からの車両だとなおさらだ。

津幡の手前で自転車ぐらいの速さまで減速する。信号の「警戒25km」であろうか。このままでは遅れてしまうように感じられたが、津幡には定刻に着いた。この減速はダイヤによるものだったようだ。

七尾線に入り、ややスピードを上げる。急行能登路1号は能登半島の入り口を力強く踏み出した。いくつかの通過駅では、3連の各駅停車がこちらが通り過ぎるのを待っていた。通学する生徒で車内は真っ黒。

津幡から宇ノ気、羽咋、七尾とおおよお20分おきに停車する。七尾線は急な勾配が少ないので、昭和37年製で車齢が40年を超えたキハ58+キハ28でも90km近く出していた。七尾以北でのスピードダウンを考慮しているのだろうか。




七尾でのと鉄道各駅停車用の気動車NT100を目にする


七尾で乗客の半分が降りた。同時に車掌がJR西からのと鉄道に交代。




急行能登路の車内 もう少しいい写真を撮ればよかった・・・


和倉温泉で電化が尽き、のと鉄道に入る。右手には穏やかな七尾湾が広がる。七尾までと比べ、スピードが落ちた。だがここまで来て焦ることはない。じっくり能登を味わおうではないか。




能登中島駅 1999年7月31日時点で珠洲発金沢行き急行能登時1号と交換していた




和倉温泉を発車してしばらくしてから七尾湾を見る 能登島大橋が見える


急行能登路1号は和倉温泉から続く丘陵地やリアス式海岸などを短いトンネルで抜けていく。


次は穴水  9時57分着



穴水に着いた急行能登路1号 ここで珠洲行き快速に乗り換え。のと鉄道の快速列車はこの年以来見なくなった気がする


ここ穴水で乗り換え、宇出津・珠洲方向へと進路を変える 車窓はとっくに奥能登だ。



甲駅のオユ10 2005年3月末、穴水〜蛸島廃止時に能登中島駅に移動した




穴水を過ぎてからの車窓 高原状のところを走る




能登線は海のイメージが強いが、こんな所も通る。




鵜川を発車 小さな駅だが、急行能登路も停車する。




鵜川から海沿いを国道と並んで走る。




宇出津駅に着いたところ。のと鉄道の本社がある。宇出津の由来のひとつは、「牛津」だと言われている。能登半島では放牧が盛んで、(今も能登牛は有名)その牛を出荷する港があったからだという。




宇出津駅 松波・珠洲方向

宇出津のもうひとつの由来は、アイヌ語で「たくさんの湾」を意味する「ウシュリ」だったと思う。この「たくさんの湾」とは九十九湾のことか。でもなぜこの能登でアイヌ語なのか。それはここに漂流してきたアイヌ人がそう呼んだからだという。彼らは無事に北海道に帰れたのだろうか。



たった1両の珠洲行き327Dは海と山が向かい合う奥能登をゆっくり走っていく。



縄文真脇駅から見た間脇遺跡公園
ここには遺跡と博物館、公園、温泉がある。博物館には発掘された縄文土器やイルカの骨などが展示されている。公園はイルカの骨をイメージした遊具がある。以前来たときは一日中いても飽きなかった。




九十九湾小木駅 のと鉄道転換前は能登小木と言った。その名のとおり、大小たくさんの入り江からなる九十九湾への最寄駅である。Denkoはまだ行ったことがない。廃止になる前に、のと鉄道で行きたかった。




秘境駅として知られる白丸駅 集落からは少しはなれた山の中にある。




九里川尻駅 筆者が小学校高校学年のときに合宿で訪れた能登少年自然の家がすぐ近くにある。荒波の中、カヌーを必死にこいだのを今でも覚えている。




九里川尻から見えたキリコ橋 合宿の探検であの橋を渡った記憶がある。




切り通しの向こうは旧内浦町の中心地に近い松波駅




余りにも有名な恋路駅 ここから見る恋路海岸は特に美しい。今となってはここは駅ではなく草むら




人影がまばらな恋路海岸 水平線は雲とともに彼方



11時30分過ぎ、目的地である珠洲に着く。



今まで走ってきた松波・宇出津方向を振り返る。すぐ上り勾配、トンネルがあるのは奥能登の急峻な地形のため。




駅舎の入り口の上に「歓迎」とあるが、今日のお客は筆者ぐらい。




この駅名板は国鉄能登線時代からの生き残りか よく整備されていて美しい




駅前は数台の車と数人の地元の人のみ




あまりにコンパクトな珠洲駅の待合室 学校の教室の1/4もない。ここにも「歓迎」とあるが、歓迎される人は数えるほど




今まで乗ってきたNT100 折り返し七尾行きは空気輸送になりそう・・・




蛸島から着た1両を連結 2両で折り返しまでの昼寝



列車で珠洲に来たのはこれが始めて。思ったよりさびしい。




珠洲駅を出て少し歩けばこのような風景が広がっている


この夏はまだ廃止の話は全く出ていなかった。しかしどの列車も空気近輸送に近く、なんとなく危なさを感じていた。景色は美しいが、列車に乗っていたのは筆者と地元の人のみであった。





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